高尾山に登ると薬王院の表参道である1号路の猿園を過ぎたところに、樹齢約500年の、根が蛸の足のように見えることから「蛸杉(たこすぎ)」と呼ばれる名物の杉の巨木があります。
高さが37メートル、目通り(目の高さに相当する部分)の幹の周囲は6メートルあります。
通常は、周りを神道のシンボルと言われる注連縄(しめなわ)が張られています。
神道でいう八百万の神(やおよろずのかみ)というコンセプトは、自然現象・自然物など、自然界の全ての物には神が宿っているという「汎神論(はんしんろん)」(宇宙または宇宙の諸力・法則が神であり、神の具現したものが宇宙の万物であるという考え方)的な「日本人の伝統的世界観」に基づくものです。
一神教であるキリスト教やイスラム教の信者には受け入れられない考えかもしれませんが、同じく多神教のヒンズー教徒等は理解を示してくれると思います。
「仏教建築の影響」で、八百万の神のうち特に重要なものについては、「神霊が降臨する御神体」を祀る場所として神社が設けられるようになりました。
御神体としては、小さいものでは、皇室の三種の神器に見られるような、ご神鏡・宝剣・勾玉(まがたま)、大きなものでは、富士山(八合目から上)などの霊山、巨岩、巨石、巨木、荘厳な滝等が含まれます。
蛸杉も神霊が宿る御神体の一つとして考えて良いと思います。
八百万の神のうちの一柱ということで、蛸杉に宿る神様はどなたかと問われると答えに窮しますが・・・
熊野那智大社の別宮である飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命( おおくにぬしのみこと)に同じ)とされていますが、御神体は「那智の滝」です。
写真からは、わかりにくいかも知れませんが、滝口に注連縄が張られています。
この注連縄は、正月前や7月の例大祭前に神職によって張り替えられるようですが、あんな場所に立ったら、お尻の穴が三角になってしまいそうです。
出羽三山の一つである湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)の御祭神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)・大己貴命・少彦名命(すくなひこなのみこと)という三柱(みはしら)の神様ですが、御神体は温泉の湧き出るオレンジ色の大岩(湯壺)です。
鳥居は有りますが、ご神体が大き過ぎるので社殿は設けられていません。
「語るなかれ」「聞くなかれ」と、湯殿山神社の御神体のことは、昔から公式には秘密だったようで、湯殿山を訪れた松尾芭蕉も、「奥の細道」に、「語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな」という一句を残しています。
私も、湯殿山神社を訪れたとき、ツアー・ガイドさんから「皆様、ここで見たことは、他で話してはいけないことになっていますから、くれぐれも気をつけて下さい。」と言われました。
でも、「足湯が気持ちよかった」などと、罰当たりにも、もう、いっぱい喋ってしまいました。
世界文化遺産でもある「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」の御祭神は、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)という三柱の女神で、宗像三女神(むなかたさんじょしん)と総称されていますが、御神体は、真言宗系の両部鳥居を前にした厳島(宮島)そのものとされています。
厳島(いつくしま)は、市杵島(いしきしま)が転じたものだという説もあるようです。
高尾山の浄心門も真言宗系の両部鳥居で、本体の鳥居の柱を支える形で両脇に稚児柱(ちごばしら)と呼ばれる角ばった柱があり、これが「真言仏教と神道の習合」のシンボルとされています。
それもそのはず、厳島には、厳島神社の他に、真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)(総本山 仁和寺)の大本山 大聖院(だいしょういん)があります。
厳島(宮島)の弥山(みせん)山頂からの眺めは日本三景の一つにも数えられています。
家内と厳島(宮島)を訪れた時は、ロープウェーを利用して山頂まで登って涼風の中でごろ寝をしたり、日本三景の眺めを堪能しました。
しかしながら、実際に山頂まで登るのは外国人観光客が多く、ロープウェイの中などで、オーストラリアから来たというお姉さんや、スペインから来たという若者達とも言葉を交わしましたが、日本人観光客の多くは、入口にある厳島神社や大聖院だけを見学した後、名物の穴子丼を食べて帰ってしまっているようでした。
勿体無い!
因みに、宗像三女神は、もう一つの世界文化遺産、“「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”にも含まれる宗像大社(むなかたたいしゃ)でもお祀りされていますが、宗像大社の御神体も「沖ノ島」という島です。
世界文化遺産の分野では、宗像三女神は大活躍ですね。
「薬王院の生き残り大作戦」の稿でもご説明した通り、日本に仏教が伝来した以降は、仏教における偶像崇拝の影響で、僧形八幡神の様な“神像が御神体“となる場合も見られる様になりました。
高尾山薬王院の“本尊”である「飯縄大権現」や、奈良県にある金峯山修験本宗(きんぷせんしゅげんほんしゅう)の総本山である金峯山寺(きんぷせんじ)の“本尊”である「蔵王権現(ざおうごんげん)」も、権現の名の通り、神様であるわけですから、その像も神像といって差し支えないと思いますが、同時に一種の御神体であるといっても間違いではないと思います。
この曖昧さが、神仏習合の極みである修験道というわけですね・・・
ところで、ご存知の通り、明治天皇、桓武天皇、徳川家康といった歴史上の重要人物の魂が神格化され、神社に祀られることもありますよね。
神格化された歴史上の重要人物の御神体について、極端な例を挙げれば、「注連縄をつけて土俵入りの儀式を行う横綱」は、土俵入りの儀式の間は、相撲の神様の御神体になるという説明が可能です。
相撲の神様というのは、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の御前で行われた“日本初の天覧相撲”で当麻蹴速(たいまのけはや)を破って勝者となったといわれる野見宿禰(のみのすくね)のことです。
私は未だ行ったことはありませんが、明治時代に、両国国技館の近くに野見宿禰を御祭神として祀った野見宿禰神社が創建され、相撲協会や関係者の崇敬を集めているそうです。
相撲の起源は、相撲の節会(すまいのせちえ)と呼ばれる宮中における神道儀式であると言われています。
相撲の土俵上の釣り屋根は、典型的な神社建築様式である神明造り(しんめいづくり)で、東西南北に吊り下げられている四色の房は、道教の神々である四方を守護する聖獣(玄武(げんぶ)(蛇が亀に絡まっている姿)(北)、朱雀(すざく)(南)、青龍(せいりゅう)(東)、白虎(びゃっこ)(西))を表しています。
元々は房ではなく柱に巻き付けられて色つきの布だったそうですが、1953年にNHKによる大相撲のテレビ中継が始まるときに、柱で死角ができてしまうのを嫌って、釣り屋根から下がる房で代替されることになったそうです。
つまり、日本の国技とされる相撲は、土俵の屋根が神道スタイルである一方、中国古来の宗教哲学としての道教の影響も受けているわけです。
余談ですが、相撲の神である野見宿禰は、殉死者の代用品として埴輪(はにわ)を発明したことでも知られています。
野見宿禰は、第11代垂仁天皇の皇后薨去(こうきょ)の折、出雲より三百人以上の土師(はじ)(埴輪(はにわ)を作る職人)を率いて埴輪を作り、 これを朝廷に献上し、その功により土師の姓を賜りました。
その後一族は居住地であった大和国菅原邑(やまとのくにすがわらむら)の名をとって、更に、菅原の姓に改めたそうです。
菅原道真は、野見宿禰の子孫に当たり、彼の魂も神格化され太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)その他各地に天神様として祀られているのはご存知の通りです。
もっとも、この場合は、朝廷や彼の政敵であった藤原氏が、政争に敗れて失意のうちに亡くなった菅原道真の怨霊鎮魂のために行ったものと言われています。
それにしても、一族から二人も神様を出すなんてすごいですね。
他の名称では「神」「命」までふり仮名があり、大山祇神(おおやまつみ)だけ「のかみ」までの送り仮名がないので、「おおやまつみのかみ」とした方が良いのではと思いました。
尚参考にfurigana.infoで検索した「大山祇神”のいろいろな読み方と例文」
読み方 割合
おおやまつみのかみ 33.3%
おおやまづみのかみ 33.3%
オホヤマツミノカミ 33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
コメントありがとうございます。大山祇神の読み方は、「おおやまつみ」だけとする場合もあり、今回は、それを採用したのですが、湯殿山の他の御祭神の呼称が「命」を使用しているのに合わせて、又、湯殿山神社のホームページの用法に合わせて、大山祇命(おおやまづみのみこと)に修正しました。古事記と日本書紀でも、同じ神様の名前が異なっていたりしますので、この辺についてはご容赦下さい。