高尾山の薬王院には、本堂と言える建造物が一つ、そこから石段を登った一段高い場所に、本社ともいうべき権現造の神社風建造物がもう一つあり、飯縄権現堂と呼ばれ、「ご本尊」とも「御神体」ともいうべき飯縄大権現の像が安置されています。
権現造とは、拝殿、幣殿、本殿が一体化した建築様式で、日光東照宮のものが一番有名だと思いますが、現存する一番古い建物は、京都の北野八幡宮の社殿だそうです。
外国人観光客に対しては、神社での拝礼作法について、「二礼ニ拍手一礼」の原則に基づいて、以下のように説明しています。
「先ず、軽くお辞儀をします。次に、賽銭箱にお賽銭を投げ入れます。次に、鈴があればこれを三度鳴らします。鈴を鳴らすのは、神様を呼び出し、自らを清めるという意味合いがあります。次に、二度お辞儀をし、二度拍手(かしわで)を打ちます。それから黙って祈り、最後にもう一度深くお辞儀をします。これで拝礼はお終いです。」
因みに、良く使われている「“柏”手(かしわで)」という言葉は漢字の誤用で、“拍手(かしわで・はくしゅ)”というのが正しいようです。
よくよく見ると、神仏習合の修験宗の薬王院では、鈴はなかったり、鈴の代わりに鰐口(わにぐち)(金属製の丸い仏具)がぶら下がっている場合が多いようです。
最初のうちは、薬王院の飯縄権現堂でも、私は、「二礼二拍手一礼」の原則に基づいて説明していましたが、やがて自分の誤りに気がつきました。
仏教式の拝礼は、古代インドの挨拶のジェスチャーだという説がありますが、神仏習合の歴史の長い日本では、神社においても仏式に静かに合掌というのが、特に、明治時代以前は、より一般的だったようです。
従って、「二礼二拍手一礼」というのは、「仏教の聖地」と「修験道の霊山」としての歴史しかない高尾山においては、その歴史上存在しえなかった拝礼作法だと断言して間違いではないのかも知れません。
つまるところ、「二礼二拍手一礼」という神社での拝礼作法は、明治新政府により神仏分離令(1868年)が発せられた以降、「一般参拝者向け」のものとして、神道関係者によって大急ぎで作られた新しい作法のようですね。
そういうわけで、神社まがいの飯縄権現堂での拝礼についても、拍手はやめて「南無飯縄大権現」と唱えて、「静かに合掌」という仏教スタイルをお勧めしたいと思います。
「二礼二拍手一礼」というのは、元々神職(神主)による「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」の儀式の「作法」と言われています。
玉串とは、榊(さかき)などの常緑樹の木の枝に、紙垂(しで)などを麻で結んで下げたもので、これを神前に捧げる儀式が「玉串奉奠」です。
中国や韓国との歴史問題での摩擦を避けるため、2013年以降、日本の総理大臣は、終戦の日に靖国神社には参拝せず、「玉串料」だけを納めるパターンが定着していますよね。
私も、36年前に、家内と神前結婚式を挙げ、「玉串奉奠」の儀式で、神主さんに言われるままに、「二礼二拍手一礼」に基づく拝礼を行ったはずですが、愛の記憶とは儚(はかな)いもので、今となっては、その時のことはすっかり忘れてしまいました。
神前結婚式自体、1900年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)のご結婚の礼が「キリスト教式の結婚式」をモデルに行われたのが最初で、その歴史は極めて短いのです。
ご存知の方も多いと思いますが、「出雲大社」では「二礼四拍手一礼」と決まっています。
四を意味する漢字は、死を意味する漢字と発音が同じです。
一説によれば、出雲大社の四度の拍手は、怨霊信仰(おんりょうしんこう)によるものだということです。
古来、日本には強い怨霊信仰がありました。
一般的には、社会的に重要な人物で不幸な死に方をした人が、この世に戻ってきて祟りをなす、特に、その死に責任があるような人々に対して復讐するという考え方です。
怨霊がこの世に戻って来て祟りをなすのを防ぐためには、彼らの霊魂を神格化して祀り、それを鎮め、慰めるための儀式を取り行ったりすることが効果的であると信じられていたようです。
出雲大社がある島根県の出雲地方は、日本の神話の舞台であり、極めて長い歴史を持っています。
出雲大社の本殿の高さは24メートルであり、日本最大の社殿となっています。
作家の梅原猛氏は、その著作「葬られた王朝」の中で、出雲大社は、古事記や日本書紀(総称して「記紀」)に記されているように神代の時代に作られたというのは虚構であって、建築技術の発展の歴史等も踏まえて、創建されたのは、奈良時代、第43代元明天皇、第44代元正天皇という両女帝の在位期間である8世紀初期、正に、記紀そのものが作られた頃と推定しています。
出雲大社ホームページ
公式には、2000年の歴史があると言われる伊勢神宮も、「実際に天照大神をお祀りした」のは、式年遷宮(しきねんせんぐう)(定められた年(20年毎)に、新しい社殿を作って御神体を遷(うつ)すこと)の歴史が始まる持統天皇4年(690年)ぐらいからではないかと思われます。
上記のような前提で考えると、出雲大社が創建されたのは、奈良の大仏が作られた数十年前といったタイミングです。
出雲大社の主祭神は、日本の国を作ってこれを、天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨に先立って、皇室の先祖である太陽神、天照大神に譲り渡したとされる大国主命(おおくにぬしのみこと)とされています。
出雲大社の社殿は、もともとは、今のものよりずっと大きかったと考えられています。
約800年前の図面によれば、各柱は三本の丸太を束ねてできており、その直径は1メートルあったということです。
2000年に昔の社殿の遺構が発見され、柱は、三本の丸太を束ねて作られていたことがわかり、図面の正しさが証明されました。
図面に基づく、専門家の見方によれば、当初の社殿の高さは48メートルであり、100メートルの通路が付いていたようです。
一説によれば、大国主命は、皇室が権力を握る前の日本の支配者であり、(その領土を皇室の先祖に譲り渡したのではなく、むしろ)皇室の先祖によって領土を奪われた上に殺され、その後始末として、皇室の先祖は、日本最大の社殿を有する神社を建造し、大国主命の霊魂を神格化して祀ることにより、その霊魂を鎮め、慰め、怨霊となってこの世に舞い戻ってきて祟りをなさないように図ったということであり、それが出雲大社の起源ということです。
それ以来、皇室は、死を意味する4回拍手を打つ(死拍手)ことにより、大国主命がこの世に舞い戻ることを防ぎ、あの世(黄泉の国(よみのくに))の王として君臨するように、あの世に封じ込めたというのです。
この問題に関しては、出雲大社のホームページでは、「よくあるご質問」とそれに対する回答を以下のように表示しています。
出雲大社ホームページ
数年前に、出雲大社を参拝した折、ボランティア・ガイドの男性に、怨霊信仰という「“俗説”」に絡めて「二礼四拍手一礼」について質問したところ、取り付く島もなく、不快そうに、「それは間違いだ。特別な神社であり、他とは違うだけだ。」と、にべもなく否定されました。
誇りに思う地元の大切な文化財を怨霊信仰と結びつけられるのは不愉快であり、心外だったのかも知れません。
しかし、一方で、ボランティアとはいえ、取り付く島もないような態度により、私という一観光客にも不快な思いをさせたのは事実です。
一人のボランティア・ガイドとしての私にとっても他山の石とすべき出来事でした。
もっとも、最近の山陰新報デジタルニュースの報道によれば、都道府県別の「寛容性」を測った調査で、島根県は寛容性の高さを表す数値が全国47都道府県で最下位(36.1ポイント)という結果が出ているそうです。
因みに、ワースト3の他の二つは秋田県と富山県です。
他人や物事をおおらかに受け入れる「寛容性」は、多様性のある社会を作る上で必須の要素ですが、寛容性指標が最も高かったのは東京都(77.2ポイント)、2位は神奈川県(73.2ポイント)、3位が大阪府(69.5ポイント)で、件(くだん)のボランティア・ガイドのオジさんも「よそ者排除、メンツを重視と、寛容性が極めて低い島根県の県民性故仕方がないか・・・」ということで、神奈川県に本籍がある東京都民としては勘弁してあげることに致しましょう。
さて、本題に戻りますと、出雲大社の宮司(ぐうじ)の祖先は、天照大神の次男である天穂日命(あめのほひのみこと)であり、彼が出雲国造(いずもこくそう)家の始祖であると言われています。
数年前になりますが、出雲大社の宮司の嫡男である権宮司、千家国麿(せんげくにまろ)氏が、皇室出身の女性(「高円宮典子様(たかまどのみやのりこさま)」)と結婚したというニュースを覚えている方もいるかも知れません。
現在の夫婦仲については寡聞にして存じ上げませんが、皇室と出雲大社の“番人”とは昔から深い関係があるわけです。
出雲大社のホームページには、本殿内部についての説明がありますが、正面には、大和朝廷側と思われる五柱の神々が祀られているのに対して、主祭神の大国主命は、正面から90%違う西向きにお祀りされていたりして、大和朝廷側の神々があたかも「牢番」役を務め、主祭神の大国主命は「囚人」という感じです。
出雲大社ホームページ
怨霊信仰について、作家の井沢元彦氏は、「二礼・四拍手・一拝、この拝礼作法があるのは、全国で出雲大社と宇佐神宮だけである。」という前提で、その著作「逆説の日本史」の中で議論を進めています。
これ以上は、長くなりそうなので、続きは次回にさせていただきます。
分からないながらもいつも楽しんで拝読しています。
今回はガイドの心得が書かれていました。ガイドにしろ販売員にしろ、一人の接客態度で不愉快になることは良くありますね!同じことを言うにしても、言い方次第で愉快だったり不愉快になったりしますよね!
自分の受けた教育や体験、育った環境などで、人それぞれいろいろな考えを持っている訳で、決して自分が100%正しいと思って自分の主張を押し付けないように相手の意見を良く聞くことが大切ですね。
ガイドの心得というほどでもないですが、もう少し大人の対応をして欲しかったなと思った次第。一方、自分を振り返ると冷や汗が出そうですが・・・