注連縄と同じく、結界(けっかい)として用いられる鳥居は、一般には、神道のシンボルと言われていますが、「武蔵陵墓地の上円下方墳は天智天皇陵がモデルの神道スタイル?」の稿で述べた通り、実は、仏教由来のものではないかという疑問も残ります。
インドのストゥーパの前にあるサンスクリット語で「トーラナ(Torana)」と呼ばれる仏伝図等を施した鳥居のような形状の構造物を鳥居の起源とする説もありますし、日本を代表する仏教の聖地、高野山の戦国大名の墓の前に見られる鳥居などを見ると、鳥居は、神道のシンボルという単純な説明では押し通せないような気がしてきます。
更には、鳥居の起源を、中国、朝鮮半島、東南アジアに求めるような説もあります。
私が好きな作家の「宮城谷昌光(みやぎだにまさみつ)」氏による中国の歴史小説の中に、中国古代の王朝、商(殷)を開いた湯(とう)王を補佐した名臣、伊尹(いいん)の生涯を描いた「天空の舟」という名品があります。
商王朝は、釈迦生誕よりも1000年以上前に実在したことが、考古学上も確認されている中国最古の王朝です。
その小説の中には、湯王が初めて伊尹の草葺(くさぶき)の粗末な家を訪ねた時のことを描いた次のような件(くだり)があります。
「湯は足をとめて、目を細めた。ここをおとずれた使者はひとこともこの門のことに言及しなかった。かれらがいい忘れたのか、それともその後摯(し)が(伊尹の元の名前)あらたに作ったのか。──それは二本の木を適当にはなして地に打ちこみ、その上端に横木を蔓(つる)でしばりつけてわたしてあるだけの門だが、その門の形は商室が尊んでいる門の形で、つまり鳥が天から降りてきてとまりやすいように工夫されたもので、すなわち鳥居の原型である。」
どうやら、宮城谷氏は、鳥居の起源を古代中国に求めているようです。
一方で、鳥居は、注連縄と同じように天岩戸伝説にその起源があるともいわれています。
古事記には、「引きこもり」になってしまった太陽神である天照大神を騙して、天岩戸(あまのいわと)から引きずり出すために、神々が、天岩戸の入り口で「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)(鶏の異名)」を「止まり木」に乗せて鳴かせたというエピソードがあり、鳥居は、この「止まり木」に由来するものだというのです。
鶏が「コケコッコ〜!朝だよ〜!朝だよ〜!」と鳴くと、太陽神である天照大神が、朝だと勘違いして、天岩戸から出てくる(太陽が昇って、夜が明ける)のではないかというわけですね。
天岩戸伝説を描いた下記の絵の中では、「常世の長鳴鳥」は、「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」の左側の地面の上に描かれていて、「止まり木」は見当たらないようですが・・・
中国でも、司馬遷の著した「史記」(中国最初の正史)の中で、「函谷関の鶏鳴(かんこくかんのけいめい)」と呼ばれる次のようなエピソードがあります。
『秦の始皇帝による中国の統一が実現する前、戦国時代の末期、斉(せい)の公族の一人で天下の名士であった孟嘗君(もうしょうくん)田文(でんぶん)は、秦(しん)の宰相として招かれた後、ライバルの讒言(ざんげん)が原因で、秦王(昭王)に誅殺(ちゅうさつ)されそうになった。秦を逃れて、夜半、(秦と国外とを隔てる関所である)函谷関(かんこくかん)に達したが、函谷関は鶏鳴(けいめい)(一番鶏が鳴くこと)までは開かない定めであった。孟嘗君の従者に鶏鳴のまねの上手な者があり、群の鶏がこれに和して鳴いたので、関門は開かれ、無事脱出することができた。』
このエピソードは、鶏鳴狗盗(けいめいくとう)(つまらないことでも何かの役に立つことがある)という四字熟語の出典ともなっています。
史記は、遅くとも6世紀には、日本に伝わっていたと言われており、ひょっとしたら、中国のこの有名な故事をヒントに、鶏鳴を使って函谷関ならぬ天岩戸を開けさせる話を古事記にも盛り込んだのかも知れませんね。
この故事は、小倉百人一首の清少納言の歌にも採り上げられています。
もっとも、これは、「夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関(おうさかのせき)は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)」というような、男女の恋の駆け引きの歌のようですが・・・
神仏習合の修験道の霊山として、高尾山にも鳥居が何箇所にも見られます。
訪日外国人観光客には、基本的には、以下の5点を説明することにしています。
①鳥居は、一般的には、神道のシンボルとされています。
②注連縄と同様に、外部から邪気(じゃき)や悪霊(あくりょう)が入り込まないようにするための結界(けっかい)として用いられます。
③鳥居の前では神々への礼を示すため、お辞儀をするのが作法とされています。
④鳥居の真ん中は神様が通るので、私たちは脇を通るのが作法とされています。
⑤多くの鳥居は赤や朱色に塗られていますが、これは、赤や朱色が邪気を払う力があると信じられているからで、朱色は豊穣のシンボルとも言われています。
一口に鳥居といっても、良く見ると色々な形状・種類があります。
鳥居の種類は、神明系(しんめいけい)と明神系(みょうじんけい)とに大別されます。
神明鳥居は、シンプルな形が特徴で、2本の柱の上にまっすぐな木材を乗せ、さらに柱と柱の間にもう一本の木を渡して強度を増したものです。
最上部が「笠木(かさぎ)」一本で成り立っており、「島木(しまぎ)」がありません。
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更に、細かく分類すると60ぐらいの種類があるようなので、ご興味のある方はご自身で調べてみて下さい。
大正天皇を葬った多摩陵(たまのみささぎ)の前に見られる鳥居は神明系の陵墓鳥居と呼ばれるものです。
伊勢神宮の鳥居(伊勢鳥居)も神明系に分類されていますが、笠木は五角形で丸くはありません。
明神系の鳥居は、神明系の鳥居に装飾を施したもので、二本の柱、笠木、島木、貫(ぬき)(左右の柱を貫いている横材)、額束(がくづか)からなる最も普通に見られる鳥居です。
高尾山薬王院の表参道に当たる1号路上の浄心門は、明神系の両部鳥居(りょうぶとりい)と呼ばれるもので、有名な厳島神社の大鳥居と同じ形式のものです。
浄心門の額束には、「霊気満山」の扁額が掲げられています。
「蛸杉も横綱も御神体?」の稿でご説明した通り、両部鳥居には、本体の鳥居の柱を支える形で両脇に稚児柱(ちごばしら)と呼ばれる角ばった柱があり、笠木の上に屋根があります。
両部鳥居は、「真言密教と神道の習合」のシンボルとされています。
「薬王院の生き残り大作戦」の稿でご説明した通り、明治時代より以前、江戸幕府による宗教政策の下で、修験道の法流は、大きく分けて「真言宗系の当山派(とうざんは)」と、「天台宗系の本山派(ほんざんは)」に分類されており、薬王院は、真言宗系の当山派に属していました。
東北における神仏習合の修験道の聖地とされる「出羽三山(でわさんざん)(羽黒山(はぐろさん)、月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)」も、江戸時代以前は真言宗系の当山派に属していたようです。
ところが、羽黒山中興の祖といわれる天宥上人(てんゆうしょうにん)が、江戸時代初期に、幕府の宗教政策上、大きな力を持っていた比叡山出身の天海大僧正(てんかいだいそうじょう)のサポートを得ようと画策して、「出羽三山」をまとめて、天台宗系の本山派に鞍替えしようとしたものの、湯殿山のみは反対して、真言宗系の当山派に踏み留まったという経緯があるようです。
江戸時代初期の徳川家の宗教顧問ともいうべき天海大僧正は、江戸城の守りを、鬼門(丑寅(うしとら))の方角に東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)(東叡山というのは東の比叡山の意)を設け、裏鬼門(未申(ひつじさる))の方角を赤坂の日枝神社(ひえじんじゃ)(別名:日吉山王社)で固めることにより、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願したとされています。
東京都港区赤坂の日枝神社にお参りしたことがある方も多いかと思います。
そこの鳥居は、明神系の「山王鳥居」と呼ばれるものであり、笠木の上に三角形の破風(屋根)が乗った形が特徴で、これは「天台宗と神道の習合」のシンボルとされています。
比叡山延暦寺の守護神社であり、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮、滋賀県大津市の日吉大社(ひよしたいしゃ)のものと同じ形式の鳥居です。
2016年の夏、1980年台後半のバブル経済の時代に一度計画して断念した「奥の細道」を辿る東北の旅に再チャレンジしました。
平泉(ひらいずみ)、最上川(もがみがわ)、出羽三山、立石寺(りっしゃくじ)、瑞巌寺(ずいがんじ)等、芭蕉の奥の細道で有名な観光地の数カ所を訪れたのですが、出羽三山では、天宥上人の努力虚しく、鳥居は真言宗系の両部鳥居が幅を利かせているようでした。
湯殿山は無論のこと、羽黒山や月山についても天台宗系の本山派に転向したと言いながら、鳥居については、天台宗系の山王鳥居に改修するまでにはいたらなかったようです。
天宥上人にとっても、政治的な便益さえ受けることができれば、鳥居の改修というような“瑣末なこと”のために無駄なお金は使わなかったということなのかも知れません。
文化庁文化部宗務課編纂による「宗教年鑑」(令和2年版)に掲載された各都道府県別の神社の数を合計すると8万社以上となるようですが、小さな神社まで入れるとその数は、20〜30万ともいわれるようです。
その全てに、鳥居があるとは限りませんが、一方で、幾つもの鳥居を擁しながら、恐らく、真言宗智山派の関東三大本山の一つである高尾山の薬王院は、宗教年鑑の統計上は神社としては認識されていないと思われます。
私たちの日常は、鳥居のある風景で溢れているはずですね。