高尾山は、年間約3百万人が訪れるギネスブック認定の「登山客の数で世界一」の山です。
JR東日本・高尾駅、京王高尾線・高尾駅にも程近い我が家には、新緑の季節・紅葉の季節の週末、朝から乗客を誘導する駅のアナウンスが聞こえてきます。
高尾山は、観光地としても「ミシュランの三ツ星の山」ですが、「自然豊かで、都心から交通の便が良い」という点が評価されたようです。
ある統計によれば、世界の年当たりの登山客数は約7百万人とのことですから、高尾山の登山客数が如何に多いものかが分かります。
日本の山としては、富士山も高尾山と並んで、ミシュランの三ツ星の観光地ではありますが、登山客数では高尾山の10分の1以下だと推計されます。
日本全国には「たかおさん」と名のつく山が40以上あり、名前の由来には諸説ありますが、高尾山の中腹にある「高尾山 薬王院 有喜寺(たかおさん やくおういん ゆうきじ)」(通称「薬王院」)の表参道に当たる1号路に見られるような高い尾根が続く山の形に由来するという説が有力のようです。
高尾山の主稜部は、1967年に指定された「明治の森高尾国定公園」内に位置し、多様な動植物等の豊富な自然に恵まれています。
「明治の森高尾国定公園」は、面積770ヘクタールと「国定公園としては最小」で、全国に55箇所ある国定公園の平均の面積の32分の1の大きさですが、規模の小ささにも拘らず、その豊かな自然が育んだ生物多様性が高く評価されたものと思われます。
皇居の敷地面積の約6.7倍と言えばイメージしやすいでしょうか?
2020年に、「霊気満山 高尾山」として、日本遺産の認定を受けた高尾山の価値は、文化的側面だけでなく、「八王子八景」の一つともなっている「高尾の翠靄(すいあい)」(みどり色の靄(もや)のこと)のお陰で、生物多様性に富んだその自然環境にもありそうです。
仏教の教えである「殺生禁断」の地であることも、生物多様性に貢献しているのではないかと思われます。
訪日外国人観光客には、特に、キリスト教徒からは“残酷”と見られがちな、捕鯨やイルカを食べる日本人の伝統的習慣について、弁明の機会があれば、以下のような説明をすることがあります。
・明治維新前は、仏教上の教えの影響もあって、殆どの日本人は肉食の習慣がありませんでした。
・特に、足の数の多いものは避けられ、牛、豚、山羊などの四つ足動物を食べるのは禁忌(タブー)とされていました。
・鳥は、足の数が二本しかないので「良し」とされ、魚は足がないので「問題なし」とされました。
・この点からすると、漁師の敵である鯨やイルカは魚の一種と考えられていましたから、食べるには問題ありませんでした。
・職業柄、猟師はイノシシや鹿といった野生動物を食べるのは許されていましたが、便宜的にイノシシを山鯨(やまくじら)などと呼んで、自分たちの食生活を正当化するような行動も見られました。
最後の説明は、ジョークのように解釈され、割と外国人には「ウケる」と自画自賛です。
山麓のケーブルカーの清滝駅の前には、高尾山のシンボルであるムササビの像があります。
ムササビは、夜行性で、日没後約30分で巣から飛び出し、誰かさんのように夜遊びに出かけて、日の出30分前に自分の巣へ朝帰り、という生活パターンです。
だから、プレイボーイ、プレイガール達みたいですよね。
でも、実は、真面目なお坊さんみたいに、彼らは菜食主義者なんです。
木の葉、花、木の実などを食べています。花粉症も関係無いようで、スギ花粉も食べるそうです。
・・・といっても、お腹が空きすぎて、カタツムリや昆虫などを食べる生臭坊主もいます。
飛ぶときは、高い木のてっぺんまで登ってからジャンプし、滑空します。
一般には、滑空距離は飛び出すときの木の高さの約3倍といわれ、風に乗れば、100メートル以上滑空するそうです。
因みに、薬王院のお坊さん達も、生臭坊主ではないものの、普段は普通のお食事を摂っていらっしゃるようです。
薬王院の飯縄権現堂(いづなごんげんどう)の“社殿”の前に積み上げられた御神酒の樽などから考えても、恐らくは、厳しい修行の疲れを癒すべく、時にはお米や、はたまた麦で作った「般若湯(はんにゃとう)」なども召し上げっていらっしゃるのではないかと、ついつい、下衆の勘ぐりをしてみたくなります。
薬王院は天狗の像で有名です。
天狗は想像上の生き物で、修験道(しゅげんどう)との関係が深く、「神聖な山に棲む神の使い」とされています。
高尾山の天狗は、高尾山の宗教上の支配者とされる飯縄大権現(いづなだいごんげん)のお使い(眷属(けんぞく))というわけです。
二種類の天狗のうち、向かって右側の「大天狗」は、高尾山での修行により神通力を備えた経験豊富な山伏にも擬せられています。
自在に空を飛ぶことができると考えられており、しばしば、悪運を払い、良運を呼び込むという羽団扇(はうちわ)を持った姿で描かれています。
昔々、日没後明かりも少なかった時代には、人々はムササビを大天狗と見間違えたかも知れませんね。
ムササビだけでなく、高尾山には、哺乳類28種が生息しています。
爬虫類12種、両生類12種、鳥類は137種で、渡り鳥を含めて「日本の鳥類の約4分の1」に当たります。
高尾山には、1,598種の植物が生育していますが、これは、「日本全体の約23%」に相当します。
英国全体でも、植物の種類は、1,859種に過ぎないと、2016年9月17日放送のNHK「ブラタモリ」、「高尾山はナンバーワンの山?」でも話題にしてもらっています。
高尾山は、年平均気温が摂氏13度で、冷温帯林と北部暖温帯林の境目ぐらいに当たり、約1600種の多様性に富む植生が見られます。
注目すべきは、1号路の尾根を挟んで北側には、冷温帯林に育つブナ類を中心とする落葉広葉樹が多くみられ、南側には、北部暖温帯林に育つ樫類を中心とする常緑広葉樹が多く見られることです。
このことも、NHK「ブラタモリ」でも映像を交えて取り上げていましたね。
高尾山は、標高599メートルの低山として、“水平分布的には”「白ブナの生育地の南限」とされています。
白ブナの生育地といえば、「白神山地(しらかみさんち)」が非常に有名です。
白神山地は青森県南西部から秋田県北西部に広がる白ブナの原生林であり、ブナの原生林としては世界最大級のもので、「知床」、「屋久島」、「小笠原諸島」、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」、と並んで、日本の世界自然遺産としてユネスコに登録されています。
一般には、16世紀頃から世界的に小氷河期が始まり、それは19世紀半ばまで続いたと言われています。
その影響で北半球の気温は低下しましたが、それによって、高尾山でも白ブナが成長する環境がありました。
地球温暖化の影響もあり、現在では、高尾山で白ブナの新しい苗が巨木に成長する可能性は殆どないと考えられています。
結果的に高尾山で確認されている約90本の白ブナは、江戸時代から生きている樹齢200年から300年の巨木ばかりです。
その代わり、現在では、高尾山ではより多くの黒ブナ(イヌブナ)が見られるようになりました。
黒ブナの特徴は、 樹皮の色が黒っぽいだけでなく、蘖(ひこばえ)(木の根元から出る若芽)が見られるものが多いことです。
他の紅葉の名所と同様に、高尾山では常緑樹と落葉樹がバランスよく混在しています。
このバランスの良さのおかげで、彩り豊かな美しい紅葉の景色が生み出されています。
この場合の常緑樹には、樫(かし)、楠(くすのき)、ヤブ椿、椎(しい)、柊(ひいらぎ)、青木などの照葉樹林を中心とする北部暖温帯林だけでなく、樅(もみ)、栂(つが)、榧(かや)、檜(ひのき)、杉等の温帯性針葉樹を含みます。
昆虫類は約5,000種で、大阪の箕面山(みのおやま)、京都の貴船山(きぶねやま)と並んで「日本の昆虫の三大生息地」となっています。
これらの山は全て大都市の近郊にありますが、皆、古来霊山とみなされています。
これは、偶然ではないでしょう?
高尾山の1号路登山口は、東京都八王子市の「明治の森高尾国定公園」から、高尾山と同じく修験の山として知られる箕面山を擁する大阪府箕面市の「明治の森箕面国定公園」までの11都府県約90市町村にまたがる長さ1,697kmの長距離自然歩道である「東海自然歩道」の起点ともなっています。
高尾山の豊かな生物多様性のもう一つの理由は、「周囲の山々に比較して自然林の割合がずっと高い」ことです。
これは、戦国時代以降、高尾山は国境に位置する重要な軍事拠点と見なされ、薬王院が東日本における最も有力な戦国大名の一つである北条氏の庇護を受けたことが関係しています。
お陰で、杉・檜などから構成される人工林の割合が相対的には少なく、花粉症患者は、北条氏に感謝しなくてはなりません。
NHKの大河ドラマでも、そろそろ「北条五代100年の歴史」を取り上げて、小田原市の悲願を叶えてあげたら如何でしょうか?
実際、高尾山の北側の深沢山(ふかさわやま)(通称、八王子城山)には北条氏康の三男、北条氏照が築いた関東屈指の山城、八王子城の史跡があります。
北条氏照が深沢山に城を築いた時、山頂に祀られていた八王子権現(京都の八坂神社のご祭神である牛頭天王(ごずてんのう)の眷属)を城の守護神としたので、城は「八王子城」、城下の町は「八王子」と呼ばれるようになりました。
薬王院への庇護は、江戸幕府にも引き継がれ、その後も高尾山の山林は、明治以降は皇室所有の「御料林」、戦後は国定公園内の「国有林」として保護されています。
NHK「ブラタモリ」でも解説していましたが、高尾山及び周辺の山々は、1億年ほど前は海の底でしたが、突然の海底地盤の隆起により形成されたと考えられています。
ご存知の通り、日本列島は北米プレートとユーラシア・プレートという二つの大陸プレート、及び、太平洋プレートとフィリピン海プレートという二つの海洋プレートに沿って位置しています。
プレート運動の影響によりこの地域の地層の方向は水平ではなく、約70度〜80度の角度で垂直に近いものとなっていますが、薬王院の表参道である1号路の各所で地層の露頭(ろとう)が見られ、地層の傾きを観察することができます。
この地域の地質は、「小仏層(こぼとけそう)」と呼ばれ、硬い砂岩と粘板岩の互層(ごそう)となっています。
本来は水を通しにくく、水はその表面を流れてしまっても不思議ではありませんが、地層の傾きにより無数の亀裂や割れができ、これらにより山の保水力が高く、高尾山のあちこちから水が湧き出ており、植物の生育に適したものとなっています。
このことが、「八王子八景」の一つ、「高尾の翠靄」の素ともなっているわけですね。
2012年3月、この高尾山を貫通する「圏央道高尾山トンネル」が完成しましたが、「水脈を破壊し、豊かな生態系が損なわれる」のではないかと、工事前には反対運動がありました。
見た目にハッキリとわかるのが、登山道からの景観です。
現在は、表高尾には高尾インターチェンジが、そして裏高尾には中央高速と圏央道を繋ぐ八王子ジャンクションができ、かつての風景は失われてしまいました。
残念ながら、車の騒音で、鳥や虫の声、風の音や木のざわめきなども以前よりは聞こえにくくなってしまいました。
今拝読しました。
前々から構想を練って準備なされていたのでしょうか?良くこれだけのことを纏めていると感心しました。
通訳ガイドになってから書き溜めておいたものをベースに、5年前に、高尾山のボランティア通訳ガイドクラブのために、ガイディングの手本的な和訳付きの英語の資料を作ったことがありまして、クラブの中で教科書的に使ってもらっています。テーマ毎にそれを膨らまして、纏めることができる状況です。読者になって頂いてありがとうございます。
高尾山愛たっぷりで全部読み切れません。少しずつ読み解いていきます。この1月偶々若い友人に誘われて高尾に行ってきました。40年ぶりです。友人のお目当てはシベリア抑留者慰霊碑に参拝することです。山にはほかにも慰霊碑がいくつかあり、それだけ魂を慰めるにふさわしい場所なのだと思います。冬の澄んだ空気のなか自分が住んでいる横浜も、江の島も肉眼で見え心洗われる日となりました。
始めたばかりで不慣れにつき、未だうまくコンパクトにまとめることができません。悪しからず、ご容赦ください。