高尾山の薬王院の境内では、三組の石造りの狛犬(こまいぬ)を見ることができます。
それぞれ、①仁王門の手前の石段の入口、②大僧坊から本堂へ通じる石段の手前、③飯縄権現堂(いづなごんげんどう)へ通じる赤い「両部鳥居(りょうぶとりい)」の手前の石段を少し下がった場所、に配置されています。
寺社の門番の役割を果たす狛犬には、外部から邪気(じゃき)や悪霊(あくりょう)が入り込まないようにする魔除けとしての機能があります。
「役行者のお使いの鬼のカップルはかかあ天下?」の稿でもご説明しましたが、薬王院境内の三組の狛犬は、全て「左上右下の原則」、「阿吽形配置の原則」通りに配置されています。
口を開いて向かって右側に配置されているのは「雄」、口を閉じて向かって左側に配置されているのは「雌」ということになります。
狛犬は、外見から考えると、犬というよりは、ライオンといった方が適切なようですね。
実際、狛犬の起源は、ギリシャ彫刻の影響を受けて造形されたといわれる「古代インドのガンダーラ仏等に見られる、仏像の台座の両脇にある守護獣としてのライオン」ともいわれています。
これが、中国大陸、朝鮮半島を経由して、遣隋使や遣唐使により、或いは、渡来人(中国や朝鮮半島からの移民)により、6〜7世紀になって日本にもたらされたというわけです。
諸説ありますが、古来、日本では、狛犬は、日本で「獅子(しし)」と呼ばれる猪(いのしし)や鹿(かのしし)と区別して、「架空の動物、霊獣」である「唐獅子(からじし)(外国の獅子の意)」として認識されていたようです。
狛犬は、漢字で、「高麗犬(こまいぬ)」とも書き表され、「高麗(こうらい)」という10世紀に成立した朝鮮半島の統一国家名を冠しているくらいですから、ライオンの存在を知らない当時の日本の人々は、この獰猛(どうもう)な顔つきをした犬が、朝鮮半島のどこかに棲息(せいそく)しているのではないかと想像を巡らせたのかも知れません。
もっとも、高麗犬の「高麗(こま)」は、唐獅子の「唐(から)」と同様の用法で、単に「外国の犬」という意味だという説も有力のようです。
沖縄でよく見られる「シーサー(獅子)」も、起源は狛犬と同じだと考えられており、中国から伝わったものといわれています。
狛犬が日本にもたらされた初期の頃は、神社やお寺で狛犬が置かれたのは「屋内」であり、森林資源が豊富な日本の事情を反映して、木造のものがほとんどであったようです。
狛犬が「屋外」に置かれ、それにともなって、雨風にさらされても良いよう石造りとなったのは、かなり後のことで、現存する日本最古の石造りの狛犬は、鎌倉時代初期に作られた東大寺南大門のものとされています。
又、狛犬が日本にもたらされた当初は、左右の像には区別がなかったものが、その後、平安時代に入って、向かって右側には、「獅子」と呼ばれる角がない阿形のもの、向かって左側には、「狛犬」と呼ばれる角がある吽形のもの、を配置するのが主流になったようです。
京都には、北野八幡宮、八坂神社、東寺、仁和寺など、角のある狛犬が見られる寺社が比較的多いように思われます。
一説によれば、この場合の狛犬は、「犀(さい)」や、西洋の「ユニコーン」に似た、「兕(じ)」、或いは「獬豸(かいち)」と呼ばれる中国の伝説上の一角獣をモデルに造形されたとのことです。
鎌倉時代以降は、これが簡略化され、再度、両方とも角のないデザインが主流となり、狛犬と総称されるようになったようですが、東大寺南大門の狛犬は、この簡略化されたタイプのように見えますね。
但し、これらは、東大寺の大仏及び大仏殿の再建のため中国の宋から招かれた石工が作ったとされる「中国風」のもので、左右とも阿形であるのが特徴です。
ところで、高尾山の薬王院境内の狛犬については、三組の中で、飯縄権現堂の赤い両部鳥居手前の石段の途中にある狛犬のデザインが、かなりユニークなものになっています。
即ち、18世紀末、寛政年間に作られたというこれらの狛犬は、向かって右側の阿形のものが、宝珠(ほうじゅ)を頭に乗せ、向かって左側の吽形のものには、角が二本あるという変わった組み合わせになっており、工事全体は、宗右衛門という石工の棟梁が請け負ったようです。
Jリーガーのように、宝珠でヘッドストール(頭にボールを乗せてバランスを取るリフティングの一種)を決めさせてみたり、角をもう一本追加して二本にしたりというのは、寄進者である江戸商人達の遊び心なのか、その時代の流行か、はたまた、工事を請け負った石工の出血大サービスということでしょうか?
・・・というのは半分冗談ですが、「宝珠+角」という組み合わせ自体は、江戸時代に入って現れたデザインのようです。
但し、角が二本というのは珍しいんじゃないかと思います。
もっとも、千葉県にも似たような作風の狛犬のペアがあるようなので、同じサービス精神旺盛の石工達によるものなのかも知れません。
次回、高尾山を訪れた時は、このユニークな狛犬のペアを是非探してみて下さい。
安土桃山時代の「狩野永徳」の筆による「唐獅子図屏風」などを見ると、アジアの近隣諸国だけでなく、遠くヨーロッパからの情報も入ってくるようになった大航海時代の日本では、既に、「海外には、本当にこんな獰猛な顔つきの獣が実在するらしい」という程度の認識は、確立していたのかも知れませんね。
それでも、実際に見たことがないと、狩野永徳という名人の筆によるものでも、このくらいが限界だったということなのでしょう。
「本堂と本社が両方ある高尾山薬王院(お寺、それとも神社?どっち?)」の稿で、『通訳ガイドの資格をとった後、当初は、外国人の友人や仕事上のクライアントを相手に、「鳥居・注連縄・狛犬を見たら、それは神社ですよ。仁王門、仏像、香炉なんかがあったら、そこは仏教寺院ですよ。」などと“適当な説明”をしてしまった』という失敗談をご紹介しました。
日本では、「釈迦如来((Shakyamuni:シャーッキャムニ)」の脇侍として、ライオン(獅子)に乗った「文殊菩薩(Manjusri Bodhisattva:マンジュシュリー・ボディサットワ)」(向かって右側)とともに、白象に乗った「普賢菩薩(Samantabhadra Bodhisattva:サマンタバドラ・ボディサットワ)」(向かって左側)が、 「釈迦三尊像」を構成する例が多く見られるようですが、文殊菩薩が乗っている動物の像が、狛犬の起源となっているという説もあります。
いずれにしても、狛犬は、「元来、仏教由来のもの」であったのに、神仏習合の結果、神社の入り口にも据え付けられるようになったということなのでしょう。
ところで、ライオンというと、アフリカを思い浮かべる方が圧倒的に多いかもしれませんが、今でもインドには数少なくなったアジアライオン(インドライオン)の末裔(まつえい)が棲息する狭い地域が残されているようです。
更に、興味深い説は、狛犬の起源はペルシャ、エジプト、ギリシャ等の文化で見られるスフィンクスというものです。
古代インドにおいては、仏像も、ギリシャ彫刻の影響で作られるようになったとされていますから、さほど不思議なことではないかも知れませんね。
余談ですが、全国には、狛犬に代わって、狛猪(こまいのしし)(http://www.gooujinja.or.jp/)、狛鼠(こまねずみ)、狛兎(こまうさぎ)、狛猿(こまざる)などの霊獣がお守りしている寺社もあります。
恐らく、これらは、狛犬というコンセプトが日本に導入された後に生じた「派生形」なのだと思われます。
ご存知の通り、稲荷神社では、狐が「神使(しんし)(神様のお使い)」を務めていますが、同時に狛犬のような役割も果たしているようです。
寺社の門番ということでは、明治時代以降、仏教寺院については、仁王門のペアの金剛力士像、神社については、随身門のペアの随身像というのがオーソドックスな様式になったように思われます。
これに対して、狛犬は、神仏習合の名残をとどめて、神様でも、仏様でも選り好みしない「両刀使い」という感じですね。
沖縄のシーサーは、現在の中国における獅子像のように宗教色は更に薄く、狛犬より更に柔軟、且つ、臨機応変に、個人の住宅を含めて多方面で活躍しているようです。