「天狗」は「修験道」の霊山である高尾山のシンボルです。
JR中央線の高尾駅3・4番線ホームには、東京方面を望む石造りの「大天狗」のお面が鎮座しています。
花崗岩(かこうがん)で作られた「大天狗」のお面は、重さ18トン、高さ2.4メートル、鼻の長さは1.2メートルという巨大なもので、1978年に八王子観光協会と高尾山薬王院により建造されました。
私も、現在は、基本的に在宅勤務を行なっていますが、新型コロナウィルス肺炎が流行し始めた2020年2月以前は、この「大天狗」お面を横目で見ながら電車通勤をしていました。
元来、「天狗(tiangou)」は中国語で、文字通りの意味は「天の犬」であり、諸説ありますが、中国では、主に「凶事を知らせる流星」の意味で使われていたようです。
日本で「天狗」の文字が初めて登場したのは「日本書紀」とされています。
即ち、「聖徳太子が、中国に派遣した「小野妹子」を正使とする外交団、「遣隋使(けんずいし)」に加わって、帰国後、「大化の改新」にも参画したという学僧、「旻(みん)」の発言の中で「天狗」についての言及があるそうです。
彼は、都の空を巨大な星が雷のような轟音(ごうおん)を立てて東から西へ流れたのを見て驚き騒ぐ人々に、『流星ではない。これは天狗(あまつきつね)である。天狗の吠(ほ)える声が雷に似ているだけだ。』と説明したとされています。
つまり、「日本書紀」が完成したとされる、720年(第44代元正天皇(げんしょうてんのう)の時代)の時点では、「天狗」は、中国語と同じような意味で使われていたようです。
因みに、薬王院が創建されたのは、744年(第45代聖武天皇(しょうむてんのう)の時代)とされていますから、日本書紀の完成からわずか24年後となります。
その頃には、高尾山に、未だ「天狗」はいなかったということですね。
「日本書記」まで持ち出さなくとも、『その昔、流れ星は「天狗(あまつきつね)」と呼ばれていた』と、私の息子と同い年の平成生まれのソングライター「まらしぃ」が、「天(そら)を駆け行くアマツキツネは・・・」で始まる「アマツキツネ」というタイトルの若者向けのファンタジーな楽曲を作っており、YouTubeなどでも視聴可能です。
今日では、「天狗」は、想像上の生き物で、「修験道」との関係が深く「神聖な山に棲む神の使い」とされています。
『鼻が長く、山伏の装束(しょうぞく)に身を包み、一本歯の高下駄(たかげた)を履(は)き、羽団扇(はうちわ)を持って自在に空を飛ぶ』という「天狗」のイメージは、平安時代に「修験道」が「密教」や「道教」、更には「陰陽道」の要素を加えて日本独特なものとして完成してゆく過程で、徐々に成立していったと思われます。
そして、善悪両面を持つ妖怪、或いは神として、民間では、いわゆる「神隠し」のように、説明ができない怪異な現象を「天狗」の仕業(しわざ)と考えられるようになりました。
今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、「菅田将暉(すだまさき)」さんが演じた「源義経」についても、鞍馬山の「大天狗」から武芸・兵法を伝授されたというような伝説が残っていますし、「大泉洋(おおいずみよう)」さんが演じた「源頼朝」が、「西田敏行」さんが演じた「後白河法皇」の策士振りを、『日本一(ひのもといち)の「大天狗」』と揶揄(やゆ)したというエピソードは、鎌倉幕府の公式記録である「吾妻鏡(あづまかがみ)」にも記載があるようです。
ですから、平安時代末期には、既に、現在の「天狗」のイメージに近いものが確立していたのではないかと思われます。
「修験道」の霊山である高尾山では、高尾山の宗教上の支配者とされる「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」の眷属(けんぞく)(付き従う者)として薬王院の参拝者を見張る「天狗」が、其処彼処(そこかしこ)で目を光らせており、お土産用の天狗グッズも豊富です。
一般的には、「天狗」というと、前述のような、鼻の長い「大天狗」をイメージする方が多いのかもしれませんが、今や「大天狗」に主役の座を奪われたように見える「小天狗(烏天狗)」の方が、むしろ「天狗」の元祖ではないかと思われます。
そして、そのお姿も、ヒンズー教の神様である「迦楼羅天(かるらてん)(Garuda:ガルーダ)」のお姿をベースに造形されたようです。
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)(神は仏が世の中の人を救うために姿を変えてこの世に現れたとする神仏同体の説)においても、「天狗」の本地仏は「迦楼羅天」であるという考えもあるようです。
但し、高尾山においては、鳥のようなお顔の「小天狗」は見習いの「天狗」で、未だに修行中の身であり、一方で、大きな鼻が特徴の「大天狗」は、しばしば、高尾山での修行により神通力を備えた経験豊富な山伏にも例えられています。
ケーブルカーの「高尾山駅」を降りてすぐのお店で売っている高尾山名物の「天狗焼」のデザインは、「小天狗」をモデルにしているようですね。
「八大龍王は親子で薬王院に貢献?」の稿でご紹介した「蛸杉(たこすぎ)」にまつわるエピソードにも、次のような「天狗バージョン」があります。
『昔々、飯縄大権現参詣の人々のために、「天狗」衆が参道を整備していましたが、根を四方に張った大杉に至り、思案の末に翌朝、これを引き抜くことを決めました。それを知った大杉は、すわ、一大事とばかりに一夜にして根をくるくると縮めてしまったそうです。そして、この盤根(ばんこん)(曲がりくねった根)が「蛸の足」に似ていることからこの大杉は「蛸杉」と命名されたとのことです。』
これもまた、薬王院の山伏達が、客寄せのためにでっち上げた与太話の類(たぐい)と考えて良いでしょう。
高尾山中腹の「有喜苑」で、「柴燈護摩壇(さいとうごまだん)」の前のブロンズ製の「飯縄大権現」の脇侍(わきじ・きょうじ)を務めるのは、左上右下(さじょううげ)の原則に則って設置された阿吽形の「大天狗」と「小天狗」のペアの像です。
「有喜苑」を過ぎて、薬王院の表参道である1号路を辿ると、四天王門の少し手前に、東京都の「天然記念物」に指定されている杉並木があります。
これらの杉の巨木は樹齢700年ともいわれ、蛸杉よりもさらに長寿を誇る老木群です。
その中でも、目を引く巨大杉が「天狗の腰掛杉」と呼ばれているもので、高尾山を守る「天狗」がこの杉の大枝に腰をかけて怪しい参拝者がいないか見張っているということになっています。
樹齢700年の杉並木の巨木の中には、ムササビの巣と見られる洞(うろ)が観察されるものもあり、日没後明かりも少なかった時代には、人々は暗がりの中を滑空するムササビを、空を飛ぶ「天狗」と見間違えたのかもしれません。
「天狗の腰掛杉」というのは、修験道の霊山といわれるような他の山にもあるようで、東京都では、「御岳山(みたけさん)」のものも知られています。
薬王院の境内に入るべく、四天王門を通過するときも油断は禁物で、門の左側の壁の向こうの暗闇から「大天狗」の面が不審な参拝者がいないか見張っています。
四天王門を抜けて薬王院の境内に入ると、今度は、阿吽形のブロンズ製の「大天狗」と「小天狗」の像が目に入ってきます。
新型コロナウィルス肺炎が流行する前は、ここには、記念写真を撮影するときに使う小道具として、三方(さんぼう)(神道の神事において使われる、神饌(しんせん)を載せるための台)に載せた「大天狗」の羽団扇が置いてありました。
薬王院参拝者は、それを手にしながらポーズをとって、記念写真を撮ることができたわけです。
残念ながら、今は、「高尾山でドッコイショ!」の稿で言及した「六根清浄石車」のアンタッチャブル(使用禁止)状態と同様に、安全対策のため、小道具の羽団扇は撤去されているようです。
薬王院で、お土産用に「元旦から節分までの期間限定」で販売されている「大天狗」の羽団扇も、『一振りすれば魔を払い、二振りすれば福を呼ぶ』と人気です。
そういえば、最近は、お浄めの「手水舎(ちょうずや)も使用禁止になっており、「倶利伽羅堂(くりからどう)」を過ぎて、お守り等の高尾山グッズの売り場の手前にある「修行大師堂」の前に置かれた「木彫りのタコの置物」も見当たらないようです。
やはり、「新型コロナウィルス肺炎感染防止の安全対策」のためではないかと思われます。
この「木彫りのタコの置物」というのは、これを持ち上げてから、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう」と唱えて、弘法大師に(入試合格等の)祈念してから元の場所に置けば、入学試験等に合格できる「オクトパス(octopus)(置くとパス)」という、受験生にとっては、大変ありがたいご利益が期待できるものだったのですが・・・
話が脱線してしまいました。
薬王院の境内をさらに進むと、「仁王門」の裏側をファニーフェイスの「大天狗」と「小天狗」の阿吽像が守っています。
薬王院の「大本堂」の前でも、当然のように、石造りの阿吽形の「大天狗」、「小天狗」が警備を担当しています。
更に、良く見ると、「大本堂」の正面の壁の左右には、阿吽形の赤い「大天狗」と青い「小天狗」の面が掲げられています。
薬王院の絵馬(えま)には、「天狗」の絵馬に加えて、珍しい一本歯の下駄の絵馬もあります。
いうまでもなく、「大本堂」と同様、「飯縄権現堂」についても、ブロンズ製の阿吽形の「大天狗」と「小天狗」のペアが警備を担当しています。
締めくくりは、「飯縄権現堂」の向かって左脇、「福徳稲荷社」の隣にある「天狗社」と呼ばれる、「流造り」の社殿です。
ここでは、「飯縄大権現」の眷属として高尾山を守る「天狗」がお祀りされています。
一般的に「天狗社」と称される社殿の前の鳥居の扁額(へんがく)には、「飯縄大権現」の文字も見えますので、ご本尊の「飯縄大権現」もご一緒にお祀りされているようです。
また、「天狗」の本地仏は「迦楼羅天」であるという考え方をとれば、実質的には「迦楼羅天」もお祀りされているといっても良いのではないかと思います。
天狗社には、草履、下駄、雪駄、運動靴などの履物などが奉納され、時には、一本歯の高下駄の絵馬も見られますが、それらには、「天狗」のように足腰が丈夫になってほしいという参拝者の願いが込められています。
この社殿の並びに、「天狗社」と呼ばれる社殿に類似した建築様式のやや小型の社殿があって、これは、古い「天狗社」の社殿かと思っていました。
ところが、最近、その付近で出会った寺務所の方にお話を伺う機会があり、次のような事実関係について教えてもらいました。
即ち、「天狗社」の社殿は、一般的に「天狗社」と誤解している人が多い「少し大きめの社殿」の隣にあったものが、老朽化して取り壊され、向かってその左隣に設けられた小さな社殿が、新しい「天狗社」であるとのことでした。
「それじゃあ、多くの人が天狗社と誤解している方の大きい方の社殿はなんと呼ばれているのですか?」と、質問したところ、「うーん、ちょっと分かりません。いずれにしても、この社殿は、イトーヨーカドーの創業者である伊藤雅俊氏のご寄付により建立されたものです。もっとも、「高尾山天狗まつり」は、こっちの大きい社殿の前でやってましたね。」とのことでした。
うーん、さすがに、高尾山の天狗は複雑怪奇。
これまでに列挙した以外にも、高尾山では、色々な形で「天狗」が活躍していますので、次回、高尾山を訪れた折には、高尾山の「天狗」の彼是(あれこれ)を探索してみてはいかがでしょうか?