今日は、一年半振りに登った高尾山頂からの投稿です。
よく晴れて遠く富士山も望むことができます。
修験道の霊山である高尾山には、薬王院の表参道に当たる1号路の「浄心門」を過ぎた辺りに「神変堂(じんべんどう)」という、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号を持ち修験道の開祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)をお祀りした小さな祠(ほこら)があります。
祠に掲げられた「神変大菩薩」の扁額の文字は、日本で唯一のノーベル平和賞受賞者である故佐藤栄作氏によるものです。
よく見ると、役行者は、脇待(わきじ・きょうじ)として2匹の鬼を従えています。
夫婦という設定で、向かって左側の手に斧を持っているのが夫で、善童鬼(ぜんどうき)といい、口を開いています。
まるで、「あー」と言っているようです。
これは、サンスクリット語のアルファベットの最初の音です。日本語でも同じですが・・・
向かって右側の、手に水瓶(すいびょう)を持っているのが妻で、妙童鬼(みょうどうき)と呼ばれ、口を閉じています。
まるで、「うん」と言っているようです。
これは、サンスクリット語のアルファベットの最後の音です。これも、日本語でも同じですが・・・
この阿吽(あ・うん)の組み合わせは、「物事の始めと終わり」、あるいは、「天と地」とを表しています。
彼らは、天と地の間にある全ての悪霊や邪気を締め出して、役行者を護衛しているのです。
彼らは役行者のお使いです。
残念ながら、彼らは左右誤って配置されたのではないかと思われます。
「本堂と本社が両方ある高尾山薬王院(お寺、それとも神社?どっち?)」の稿の終わりの方に掲載されている「役行者像と脇侍の善童鬼(向かって右)と妙童鬼(向かって左)」の写真と比べてみて下さい。
高尾山の二匹は、見張りの役目も忘れて、お互いをチラ見しながら愛を確認しているようにも見えます。
両者を左右逆に据え付けて、むしろ、左右の外側に目を配るようすべきだったのではないでしょうか?
「愛に溺れて、職務怠慢」に見えるだけでなく、他にも、二つの問題があります。
先ず、「左上右下(さじょう・うげ)」という言葉があります。
飛鳥時代(7世紀)に遣唐使を通じて唐王朝時代の中国から導入された日本の伝統礼法の一つで「左を上位、右を下位」とする「左上位」のしきたりです。
「左上位」は、正面から見ると、右が上位となって左右の序列が逆になりますが、あくまでも「並ぶ当事者から見て左側を上位・高位」とします。
これを、伝統的な日本の男尊女卑の風潮と併せて考えると、この二つの像の配置は左右が逆でなければなりません。
もっとも、高尾山に限っては、「妙童鬼のかかあ天下」という可能性もありますが・・・
他の先進諸国と比べて、まだまだ伝統的な男尊女卑の風潮が残る日本ですが、「高尾山麓から通訳ガイドの自己紹介」の稿でお話しした駐日アイルランド大使の兄君に当たる「私のアイルランド時代の元上司」が、数年前に、奥様同伴で観光目的で来日した時のエピソードです。
その折、元上司夫妻と共に、私ども夫婦も、大使夫妻主催のクリスマス・ディナーにお呼ばれしました。
一回り以上年上の元上司夫妻とは長い付き合いになりますが、奥様は、議論で相手を打ち負かすのが無上の楽しみという評判(別に私だけが言っているわけではありませんが・・・)のあるちょっと困ったお方です。
その時も、「シロー(私の名前です)、日本は女性の社会進出が遅れているわね。(毎年世界経済フォーラムが発表している)ジェンダーギャップ指数(男女格差を数値化したもの)では、アイルランドは上位6位に入って、女性の社会進出では最も進んでいる国の一つだけど、日本は111位(実は、昨年度の数値は、更に120位まで落ちているようです)。このことについてのあなたのコメントは?」と容赦ないツッコミ。
内心では、「えー!僕達は大切なゲストじゃないの〜?勘弁してよ〜。」と思いながらも、何か言わなければなりません。
こういう話題になった時は、まともに相手にせず、「日本では、第二次世界大戦後強くなったものが二つあります。何かわかりますか?答えは、ナイロン製となった女性のストッキングと、女性そのものです。日本でも女性は強くなっているんですよ〜。」などと、拙いジョークを持ち出して誤魔化すところなんですが、そんなことでは彼女は許してくれません。
「えーと、日本は、ともかくとして我が家はそんなことはありませんよ。」などと、しどろもどろになっていると、こういう場面に慣れているらしい、彼女のご主人である元上司が、絶妙な助け舟を出してくれました。
フェミニストが聞いたらめくじらを立てるかも知れませんが、「君ね、日本は歴史的にはアイルランドよりよほどうまくやっているよね。それは、その(女性の社会進出が遅れている)お陰じゃないかなと僕は思うね。」と、奥さんに向けてシニカルなアイリッシュ・ジョークを飛ばしてその場を収めてくれたのです。
彼も男性、ゲストにも優しい男性の味方でした。
伝統的な京雛(きょうびな)のひな壇では、内裏雛(だいりびな)のうち天皇に擬せられた男性は「左上右下の原則」に基づいて「向かって右側」に配置されています。一方、関東雛(かんとうびな)と呼ばれるひな壇では左右が逆となり、現在ではその方が主流派のようです。
関東雛(かんとうびな)は、西洋社会では外交などの国際舞台において右上位がマナーとして定着していたことに鑑み、明治時代以降、皇室が公式行事に右上位の西洋式国際儀礼を取り入れたことに端を発しています。
オリンピックの表彰台で金メダリストを真ん中にしてその右側(向かって見ると左側)に銀メダリスト、左側(同右側)に銅メダリストが並ぶのも、西洋式国際儀礼の右上位に由来しています。
以前、「武蔵陵墓地の上方下方墳は天智天皇陵がモデルの神道スタイル?」の項でご紹介した陵墓の配置も、明治以降の西洋式国際儀礼に則ったものではないかと思われます。
恐らく、貞明皇后と香淳皇后の「かかあ天下」ということではないと信じます。
二つ目の理由は、「阿吽形配置の原則」です。
即ち、阿吽像を配置するときは、阿形(あぎょう)を向かって右に、吽形(うんぎょう)を向かって左に設置するということです。
そんな原則は聞いたことがないって?
大丈夫、私が使っているだけの用語ですから・・・
因みに、阿吽(あうん)も、「左上右下の原則」に従った結果だという考えもあるようです。
似たような仁王像でも序列があるってことですね。
日本の伝統文化の中では、「左上右下の原則」、「(それから派生する)阿吽形配置の原則」等を前提にして仏像などを鑑賞して頂くのが宜しいかと思います。
高尾山には、複数の大天狗・小天狗(烏天狗)のペアの像、本堂に掛けられた大天狗・小天狗の面、三組のペアの狛犬、仁王門の仁王像など、様々な阿吽像が見られますが、神変堂の善童鬼・妙童鬼のカップルを除いて全て上記の原則通りに配置されています。
口を開いて向かって右側に配置されているのは大天狗、口を閉じて向かって左側に配置されているのは小天狗です。
狛犬の場合、口を開いて向かって右側に配置されているのは雄、口を閉じて向かって左側に配置されているのは雌ということになります。
次回、高尾山にいらした時には、是非注意して見て下さいね。
もっとも、「左上右下の原則」や「阿吽形配置の原則」が適用になるのは、ペアのに対してのみであって、四天王門のようなカルテット(四人組)の像となると別のルールが適用されます。
それについて話し始めると長くなりますので、別の機会に譲りたいと思います。
何事にも例外というものがあるように、高尾山以外でも、ペアの像について「左上右下の原則」や「阿吽形配置の原則」の例外が見られます。
奈良の東大寺に行ったことがある方は多いでしょう?
実は、南大門の仁王像の阿吽形の配置を含めて、三月堂(法華堂)のご本尊として祀られている不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を護衛する梵天(外見が帝釈天)や帝釈天(外見が梵天)、金剛力士像の阿吽形の配置など、色々な仏像の配置が通常とは逆に見えます。
理由について、数年前に家内と東大寺を訪ねた折に三月堂の管理者の方の一人に質問したところ、色々な仏像の配置が通常とは逆であることを認めた上で、「聖武天皇がなんらかの事情で命じたものだと思われるが、はっきりした理由は不明」というコメントがありました。
東大寺南大門の内側には、恐らく、「現存する最古の石製の狛犬」だといわれるものが安置されていますが、左右の双方の口が開いています。
門の番犬(或いは番ライオン?)でありながら、阿吽像じゃないんですね。
次回、東大寺に行った時には注意して見てください。
京都清水寺の仁王門の石段の下にある狛犬も同じ形ですが、これは東大寺南大門の狛犬をモデルに作られたもののようです。
熊野山青岸渡寺の木造の狛犬も東大寺のものと同じデザインです。
聖武天皇・光明皇后による大仏造営は、実は、無実の罪で死に追いやられた長屋王(ながやおう)の怨霊鎮魂のためだとする説があります。
この説が正しいとすれば、別の機会にお話ししようと思っている出雲大社や宇佐神宮の注連縄の向きが反対という事情と同様の深い意味があるのかもしれませんね。
いや、単なる手違いかもしれませんが・・・
今日の配信は面白かったですし理解できました。一回では理解できないので連続3回読み返しました。通常、そこまで気にして見ることがないので非常に参考になりました。
それは良かったです。基本的には知らなくてもどうでも良いこと、トリビア、与太話の集合体のようなブログですので、退屈な場合も多いことだと思いますが、ご容赦ください。