高尾登山の帰りに、1号路上にある猿園とケーブルカーの高尾山駅の間に位置する霞台(かすみだい)まで下りてくると、北麓の水行場(みずぎょうば)がある蛇滝青龍堂(じゃたきせいりゅうどう)への分岐点があります。
ここから、蛇滝青龍堂を経由して下山する蛇滝コース(蛇滝道)を辿ると、JR高尾駅に向かう途中に、美しい日本庭園として知られる高尾駒木野庭園(たかおこまぎのていえん)があります。
URL: https://www.takaokomaginoteien.jp/
歴史的な価値はあまりなさそうですが、日本庭園作庭の見本市的な場所です。
背後に見える庭外の山を景観の一部として利用するという借景(しゃっけい)の技法も用いられています。
借景は、「自然との調和」という日本の文化における一つの重要な価値観を具現化したものともいえます。
庭と建物は約100年前の大正時代に作られました。
以前は病院として使用されていましたが、2009年に所有者により八王子市に寄付されました。
2012年以降、年末年始を除き年間を通じて「無料」で一般公開されており、二種類の日本庭園を楽しむことができます。
一つは池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)であり、もう一つは枯山水庭園(かれさんすいていえん)です。
抹茶、コーヒー等が楽しめる喫茶室もあります。
非常にコンパクトにまとまった美しい日本庭園で、高尾登山帰りのオプショナル・ツアーとしては、私の一番のおススメです。
但し、「帰りに、ケーブルカー駅前の蕎麦屋で美味しいとろろ蕎麦を食べて帰りたいなぁ」といった煩悩が残っている場合は、ちょっと距離が離れているのでいずれか一つを諦めるしかなさそうです。
もっとも、蛇滝コースはやめて、往復ケーブルカーかリフトを利用すると、往復約180分の登山に要する時間は約半分に短縮できますから、下山後に、高尾山口駅近くで美味しい蕎麦を楽しんだ後、高尾駒木野庭園まで足を延ばす余裕は十分あるはずです。
日本庭園は、典型的には次の三つの要素から構成されています。
即ち、水と石(或いは、岩)及び木(或いは、植栽)の三つです。
そして、これらが、茶の湯によって発展した露地(ろじ)に用いられる飛石、石灯籠、手水鉢(ちょうずばち)、鹿威し(ししおどし)、水琴窟(すいきんくつ)、その他、橋、垣等の景物(けいぶつ)(風情を添えるもの)で補完されています。
日本庭園の鑑賞に際しては、日本の古代において、既に、松に代表される常緑樹(神籬(ひもろぎ))や巨石・巨岩(磐座(いわくら))が、神道における神々の依り代(神霊が降臨するときに宿ると考えられているもの)(或いは、御神体)として取り扱われ、河川、湖沼等の水が結界(神域と現世の境)として使われていたという事情も念頭に置いておくべきかと思います。
日本における庭園設計の技術は、世界最古の庭園設計の指南書と考えられる「作庭記(さくていき)」に記されています。
庭園設計のバイブルとも言える本書は、11 世紀の宮廷貴族である橘俊綱(たちばなのとしつな)の作というのが定説です。
彼は、宇治平等院鳳凰堂(うじびょうどういんほうおうどう)の創建者として知られる藤原頼通(ふじわらのよりみち)の息子の一人です。
そこには、「庭造りで石を立てるときには、地形や池の形に従って、又、自然の山水の風景を思い浮かべながら作るべきである。」という趣旨のことが記述されています。
即ち、自然の素材を使い、自然の風景を思い浮かべながら作る、それが、庭園設計の極意であるとしていますが、この時代には、既に浄土思想(阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え)や、神仙思想(古代中国において、不老長寿の仙人の存在を信じて、自らも仙人となることを願った思想)の影響も見られます。
もう一つは、龍安寺の石庭に代表される“相対的には新しい”枯山水庭園と呼ばれる岩(或いは、石)と小石(或いは、砂)のみからなる庭園です。
岩(或いは、石)は、山や島を表し、小石(或いは、砂)は、海や湖などを表します。
枯山水庭園の発展は、禅宗と密接に結びついています。
もっとも、ご覧の通り、高尾駒木野庭園の枯山水は、龍安寺の石庭のように全て石と砂(砂利)で出来ているというわけでもなく、いわば「折衷型」ですね。
更には、高尾駒木野庭園の枯山水は、三尊石(真ん中の大きな石を阿弥陀如来(Amitaba:アミターバ)、左右の小さめの石を、脇侍(わきじ・きょうじ)の観音菩薩(Avalokiteshvara:アヴァローキテッシュワラ)(向かって右)、勢至菩薩(Mahasthamaprapta:マハースターマプラープタ)(向かって左)に見立てている)に見られるように「浄土庭園」の要素も盛り込んでいます。
次の写真の中央にある植栽の陰からチラリと上部だけ姿を現している石が、三尊石の阿弥陀如来に擬せられる中央の石なのですが、あいにく、脇侍の観音菩薩と、勢至菩薩に擬せられた左右の小型の石は、手前の灌木が障害になってよく見えません。
枯山水庭園として、私の一番のお気に入りは高野山金剛峯寺の「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」です。
作庭されたのは弘法大師御入定(ごにゅうじょう)(永遠の瞑想に入ること)から1150年の1984年ということなので、あまり歴史的な価値はないかも知れませんが、日本最大の枯山水といわれ、雄大で、しかもバランスが美しいと思います。
私が「素晴らしい枯山水ですけど、枯山水といえば禅寺というイメージなので、高野山で見られるとは意外です。」と、金剛峯寺で出会ったお坊さんに率直な感想を口にしたら、「枯山水は禅寺だけのものではないんですよ。」とたしなめられました。
それは、そうなのかも知れませんが、やっぱり真似したんじゃあ?
16世紀後半に千利休により完成された茶の湯(茶道)も、日本庭園に非常に大きな影響を与えました。
良い例は、茶室に隣接する露地(ろじ)の飛び石、石灯籠、蹲(つくばい)、水琴窟(すいきんくつ)、鹿威し(ししおどし)等です。
もっとも、水琴窟や鹿威しは、千利休が亡くなった後の江戸時代からのもののようです。
鹿威しは、元々イノシシ(猪)やカノシシ(鹿)といった農作物を食い荒らす害獣を寄せ付けないようにする案山子(かかし)のような役目の実用品だったようですが、今や風流な日本庭園の景物の一つになってしまいました。
出典: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Shishi-odishi-2.jpg
私の両親が亡くなってから、築後70年近い相模原市の山奥にある実家をリフォームして、週末は泊まりがけで、家内と一緒にそこで野良仕事をしているのですが、周りは、猪と鹿の糞だらけで、鹿威しが何百個も必要なくらいです。
週末行くだけではとても獣害を防ぐのは困難で、今シーズンから野菜作りは断念しました。
個人の力では如何ともしがたく、相模原市などの地方自治体の主導で対応策を打ち出さないと、農業を諦めざるを得なくなる人が続出するのではないかと心配になります。
話が脱線しましたが、本稿でお伝えしたいメッセージは、高尾駒木野庭園では、浄土思想、神仙思想、禅の思想、茶道等の諸々の要素が融合したハイブリッドな日本庭園を短時間で鑑賞することができる魅力的な場所だということです。
似たような存在として、島根県にある足立美術館の庭園がありますが、足立美術館の圧倒的なスケール、アメリカの日本庭園専門誌の「日本庭園ランキング」で、19年連続日本一に選ばれ、訪問者数が年間数十万人という知名度を前にしては、高尾駒木野庭園も全面降伏せざるを得ません。
実は、私も、スマホの待ち受け画面には、足立美術館の庭園の写真を使っています。
次回は、実際に高尾駒木野庭園を散策してみましょう。
高尾駒木野庭園、全く知らなかった。規模、歴史は京都の名だたる庭園に比べればはるかに劣るけど、高尾山にいったついでによる庭としては丁度いい感じ。個人が市に寄付し市がきちんと管理しているというのもいい。高野山の蟠龍庭、写真で見るだけどこれも枯山水のいい石庭です。ちなみに私は比叡山を借景にした圓通寺の庭が一番好きです。まさに天空に浮かぶような庭です。
私も駒野木庭園のことを初めて知りました。現在の庭園としての形としては新しいのですね!外国人には喜ばれるでしょう。因みに私は庭園よりも貴兄ご自宅の里山や庭園の方が好きです。
元の所有者の本業である駒野木病院にはアルコールが飲めないのを改善するという理由で通われませんように!