武蔵陵墓地の上円下方墳は天智天皇陵がモデルの神道スタイル?

JR高尾駅の北東、私の自宅からもゆっくり歩いて約30分程のところに大正天皇(たいしょうてんのう)と貞明皇后(ていめいこうごう)、昭和天皇(しょうわてんのう)と香淳皇后(こうじゅんこうごう)という、二組の高貴なカップルが眠る武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)があります。

先月の最後の日曜日に、久し振りに散歩がてらお参りしてきました。

武蔵陵墓地の表参道の欅(けやき)並木

自宅から30分というのは、甲州街道を経由して多摩御陵入口交差点から、表参道を辿るという前提ですが、JR高尾駅北口からは、高尾街道の廿里町(とどりまち)の交差点を右折して近道をすることにより、15分もあれば、武蔵陵墓地の正門の左脇に出ることができます。

JR高尾駅北口から武蔵陵墓地への近道

実は、一昨年の勤労感謝の日、新型コロナウィルス肺炎流行の最中でしたが、以前勤めていた会社の後輩からの依頼で、メキシコ人の駐在武官を案内して、久し振りに高尾山に登りました。

本当に久し振りの高尾登山で、下山した時には足腰がヘロヘロになっており、その後1週間は筋肉痛が治らないという体たらくでした。

その日は、高尾山北側の蛇滝(じゃたき)ルート経由で下山、オプショナル・ツアーとして、ゲストを美しい日本庭園のある高尾駒木野庭園(たかおこまぎのていえん)へと案内した後、ようやくJR高尾駅の北口近くまでたどり着いた時には、既に2万歩以上を歩いていました。

その時、後輩が、「これから武蔵陵墓地の見学が可能ですか?」と、疲労困憊の私には酷な質問をぶつけてきたのです。

まだまだ体力的に余裕がありそうな二人を見て無下に断るわけにもいかず、「ギリギリ間に合うかな」とも思ったのですが、結果は大失敗。

疲れて頭もボーッとしていたせいか、廿里町交差点の信号を通り過ぎてしまって時間切れとなり、メキシコからのお客さんにも、後輩にも本当に申し訳ないことをしました。

「将来はメキシコの国防大臣」と嘯く(うそぶく)VIPゲストでしたので、普段から身体を鍛えて、もう少し上手くやれればよかったと反省しきりです。

・・・というわけで、一般論としては、武蔵陵墓地は、緑豊かな癒しの空間で、「高尾登山の帰りにも楽しむことができる」手軽な散歩コースと言えるでしょう。

但し、私のような高齢者は、ケーブルカーを利用する等により高尾登山で体力を使い切ってしまわないこと、また、武蔵陵墓地の門は午後3時半には閉まってしまいますから、この二つの点に留意して高尾登山帰りのオプショナル・ツアーとして楽しんでみてください。

砂利の敷き詰められた参道

武蔵陵墓地は、皇室の墓地であり、神聖な場所なので、総門を入ってすぐのところにはお浄めのための手水鉢(ちょうずばち)もあり、天気が良ければ、側の池には甲羅干しの亀の姿がたくさん見られます。

神社のように、参道には「お浄めのための砂利」が敷き詰められています。

参拝の帰りは、北参道と呼ばれる別ルートから総門を出ましたが、帰りだからもうお浄めの必要はないということなのか、経費節約のためなのか、アスファルト舗装の道になっていました。

入り口の前には、警視庁高尾警察署多摩御陵警備派出所があり、それぞれの天皇の陵墓の前でも警官が目を光らせていますので、どうかお行儀良くしてください。

京都の伏見城跡地にある明治天皇 伏見桃山陵(めいじてんのう ふしみのももやまのみささぎ)も含めて、明治以降の天皇家の陵墓の形式には、京都市山科区にある天智天皇 山科陵(てんぢてんのう やましなのみささぎ)(上円下方墳(正確には上八角下方墳))をモデルにしたといわれる「上円下方(じょうえんかほう)式」(上段が円形、下段が方形になっている墳墓の形式)が採用されています。

天智天皇は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)(藤原鎌足)と共に、645年の乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれるクーデターにより蘇我氏を滅ぼし、天智天皇として即位するまで、皇太子・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)として、大化の改新を推し進めたことで知られています。

一方で、滅亡した朝鮮半島の隣国、百済(くだら)の再興支援のため、663年、朝鮮半島南部における「白村江の戦い」(はくすきのえのたたかい)で、唐・新羅(しらぎ)連合軍と戦って敗戦、以後は内政に専念しました。

明治天皇 伏見桃山陵も、武蔵陵墓地の各陵墓も、それぞれ、天智天皇 山科陵のように、墓所の前に鳥居が見られます。

武蔵陵墓地では、それぞれの皇后の陵墓も、天皇の陵墓に向かって右側に同様の形式で造営されています。

この天皇と皇后の陵墓の位置関係については、今後の投稿の中で、別途その意味合いについて触れてみたいと思います。

大正天皇を葬った多摩陵(たまのみささぎ)(東京都八王子市)
昭和天皇を葬った武蔵野陵(むさしののみささぎ)(東京都八王子市)
明治天皇を葬った伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)(京都府京都市伏見区)
京都最古の古墳と言われる天智天皇山科陵(てんぢてんのう やましなのみささぎ)(京都府京都市山科区)

鳥居があるのを見ると、正に、神社みたいですよね。

もっとも、数年前に真言宗の根本道場である高野山に行った時、有名な戦国武将の墓所を沢山見ましたが、墓所の前に鳥居があるものがいくつもありました。

島津家の墓所(和歌山県伊都郡高野町)

ですから、「武蔵陵墓地の上円下方墳は天智天皇陵がモデルの神道スタイル?」と題して書き始めたものの、一般論としてはともかく、真の意味で「鳥居があるから神道式」という説明が適切であるのか、実は、私も確信が持てません。

更には、世界遺産である紀元前3世紀にアショカ王により建造されたと言われるインドのサンチーのストゥーパ(荼毘に付された釈迦の遺骨を祀った建造物)の外見は、前述の各天皇陵と時空を超えて奇妙な共通点があります。

ご覧の通り、「半球体の建造物の前に鳥居のような構築物が見られる」というところが、そっくりじゃありませんか?

ストゥーパ(インド・サンチー)(世界文化遺産)

因みに、このストゥーパの前の「鳥居のような構造物」は、仏像を作ってこれを拝むという「偶像崇拝」というコンセプトが仏教に導入される以前において、仏教信者の崇拝の対象物となっていた「お釈迦様の事績を諸々のシンボルを使って表した“仏伝図”」というもののようです。

つまり、アレキサンダー大王の東方遠征後、ギリシャ彫刻の影響で、インド(現在のパキスタン・ペシャワール地方)で仏像が作られるようになった以前は、この仏伝図が、ストゥーパや仏足石(ぶっそくせき)(お釈迦様の足の裏の形を刻みつけた石)と並んで、仏教信者の「崇拝の対象」となっていたわけです。

一般的には「神社のシンボルと考えられている鳥居」というのは、実は、仏教文化に由来するものだったのかも知れませんね。

あくまでも、「与太話」として聞き流していただいて結構ですが・・・

偶像崇拝といえば、イスラム原理主義組織「タリバン」が、昨年、アメリカ軍のアフガニスタン撤収を受けて、再び、同国の政権を握りました。

タリバンは、私が長年携わってきた航空機リース・ビジネスにも大きなインパクトを与えた、2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロを引き起こした「アルカイダ」とも深い関係にあり、イスラム教が偶像崇拝を禁止していることから、同時多発テロの直前には、アフガニスタンの首都カブールの北西230kmに位置し、世界文化遺産としてユネスコにも登録されていた「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」を破壊することで、世界に悪名を轟かせました。

彼らも、異教徒が作ったものとはいえ、ストゥーパ、仏足石、諸々のシンボルを使った仏伝図のような、偶像崇拝とは関係なさそうな仏教遺跡にまで手をつけることはないでしょうが、今後は、再び、アフガニスタンにおける文化財の破壊が心配になりますね。

タリバンに破壊されたバーミヤンの石仏(アフガニスタン)

天皇の陵墓の話から脱線しましたが、次は、天皇の陵墓の形式とは別に、天皇の葬儀が神道式になったのは、「明治天皇以降の3回のみ」であるという事実に注目してみましょう。

これ以上は、話すと長くなるので、「明治維新以前の天皇の葬儀」を中心に、続きは次回にしたいと思います。

家内からは、「もう十分長いよ!」とツッコミが入ったところです。

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(5)件のコメント

  1. 原 馨

    サンチ―のstupaの前にある鳥居のようなものは、以前から何だろうと思っていたところ。仏像がギリシャの影響でガンダーラに花開く以前のものであれば納得。これが神道の鳥居に影響したのかどうかはわからないけど。Bamyanの石仏(今では中華チェ―ン店の方が有名)は今は昔、1970年に行きました。当時は高さ55mの西大仏も38mの東大仏も自由に登れた。これを永久に破壊しつくしたのは愚かな人間のなせる業。

    1. shirok57blog

      すみません。与太話なのでご容赦下さい。

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  3. 原 馨

    このブログを読んで武蔵野陵に初めて参拝してきました。我々の世代では大正天皇ご夫妻の墳墓である多摩陵の方が名称として馴染みがあるけど、特別な関心もあったわけもなく所在地も知らなかった。高尾駅からすぐ近く、玉砂利を踏みながら厳かな雰囲気になりながら昭和天皇と香淳皇后の墳墓にお参りしてきました。一緒に行った若い友人も「厳かさに心引き締まる思い」と言います。原宿の明治神宮と違い都心から離れていることから訪れる人が少ないけど、激動の昭和のリーダーであった天皇陛下の御陵に一人でも多くの方に訪問していただきたいものです。

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