全国通訳案内士の資格を取ってからは、少しでも日本の宗教文化についての知識を深めたいと思い、手始めに仏像の勉強から始めることにしました。
しかし、芸術的センスに欠ける私には、仏像鑑賞のポイントがよく分からず、取り敢えず、仏像入門というような本を手に取って、仏像にはどんな種類があるのかという整理から始めてみました。
仏像として表現されるのは、ほとんど古代インドに由来するものなので、出来るだけサンスクリット語の表現も調べました。
訪日外国人に仏像について説明するときは、補足的にサンスクリット語の名称を使った方が、理解しやすい方もいるようだという功利的な理由もありました。
高尾山の麓に居を構える私にとって、宗教施設として最もアクセスが良いのは、高尾山の薬王院です。
しかし、開山本尊の薬師如来(Bhaishajyaguru:バイシャッジヤグル)は見たこともなく、本当に残っているのかすら疑わしい状況です。
一方で、現在の高尾山の宗教的支配者たる飯縄大権現(いづなだいごんげん)は、サンスクリット語で表現できる古代インド由来の正統派ではありません。
日本の伝統的な得意技である原材料を輸入して加工して製品化したり、舶来品を日本風にアレンジしたりという日本の伝統文化の中で生まれた異形の仏像、或いは神像(御神体)というべきものです。
訪日外国人向けのガイド・ネタとしては、面白い素材なんですが、標準からはかなり外れていて、仏像入門には相応しくないようです。
強いて挙げれば、(建物内部が暗くて入り口からはあまりよく見えませんが)高尾山麓にある不動院に安置されてある不動明王(Acalanata:アチャラナータ)像、薬王院の四天王門を守るブロンズ製の持国天(Dhrtarastra:ドリタラーシュトラ)、増長天(Virudhaka:ヴィルーダカ)、広目天(Virupaksa:ヴィルーパークシャ)、多聞天(毘沙門天)(Vaisravana:ヴァイッシュラヴァナ)の四人組の像、仁王門を守るペアの金剛力士像(Vajradhara:ヴァッジュラダラ)などが、仏像の本流にあると言えるのでしょう。
しかし、これらの仏像については、素人の私から見ても歴史的、芸術的価値は余りなさそうです。
高尾山には「イケてる仏像が見当たらないなぁ〜」と思い、仏像はやはり京都・奈良かということで、家内を巻き込んで何度か現地に足を運びました。
未だ道半ばですが、個人的には、教王護国寺(東寺)の講堂の立体曼荼羅(りったいまんだら)や、蓮華王院本堂(三十三間堂)の千一体の十一面千手千眼観音(Sahasrabhuja Arya Avalokitesvara:サハスラブジャ・アーリヤ・アヴァローキテーシュワラ)などは圧巻、必見だと思います。
不思議な魅力がある弥勒菩薩(Maitreya:マイトレーヤ)像に代表される京都太秦(うずまさ)の広隆寺の「仏像群」も見る価値十分かと思います。
でも、私の一番のお気に入りは、奈良、中宮寺の如意輪観音(にょいりんかんのん)(Cintamanicakra:チンターマニチャクラ)ですね。
家内に「ちょっと例えが古過ぎてピンとくる人が少ないのではないか?」と言われましたが、手塚治虫作「鉄腕アトム」の漫画に出てくる「アトム」の妹の「ウランちゃん」を彷彿とさせるチャーミングな仏像です。
世界遺産にも指定されている「世界最古の木造建築物群」を擁する法隆寺が隣接しており、そこでも、釈迦三尊像や百済観音等の有名な仏像を拝観できますが、私の主観としては、ウランちゃんの圧勝です。
同じ半跏思惟像(はんかしいぞう)(片足を垂らし、もう一方の足を垂らした足の上に乗せ、右手を頬のあたりに上げて思索するような形の像)の京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像にポーズがそっくりなので、弥勒菩薩かと思いきや、中宮寺の管理担当者のような方の説明によれば、「同じような質問がよくあるが、寺伝では如意輪観音とされているので、あくまでも如意輪観音」とのことでした。
「どこが如意輪観音なんだよ!?」と思いつつ、唐招提寺のお坊さんに、左手に薬壺(やっこ)を持っていない薬師如来像について質問したところ、似たような答えが返ってきたことを思い出しました。
他には、奈良の新薬師寺の十二神将(じゅうにしんしょう)像も好きです。
ご本尊の薬師如来像もご立派ですが、新薬師寺の現在の建物自体は、彼らのお住まいとしてはすこぶる控え目で、ご本尊も十二神将も多少お気の毒な感じがします。
高尾山の薬王院も、開山本尊が薬師如来なので、ひょっとすると創建当時は、薬師如来像をお祀りする場合の“通り相場”に基づいて、日光菩薩(にっこうぼさつ)(Suryaprabha:スーリヤップラバ)や月光菩薩(がっこうぼさつ)(Candraprabha:チャンドラップラバ)が、薬師如来の脇侍となり、十二神将のような守護神がその周りを固めるような形で、祀られていたかも知れませんが、今や、高尾山では、そのかすかな痕跡を辿るのも困難です。
薬師寺の聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)(Avalokitesvara:アヴァローキ・テーシュワラ)像も好きですね。
お姿が美しいだけでなく、千手観音や十一面観音などの「変化観音」が多い中で、一面二臂(いちめんにひ)(文字通りの意味は、顔が一つで臂(ひじ)が二つ)のお姿は安心感があります。
浅草寺の「絶対秘仏」とされるご本尊も聖観音菩薩だということですが、御住職でさえ「尊容拝見」を慎んでいらっしゃるとのことで、ご事情は、薬王院の薬師如来と同様(恐らくは、存在しない?)なんだろうと想像されます。
余談ですが、今、長野の善光寺(ぜんこうじ)で、7年に一度の「ご開帳」により、これもまた「絶対秘仏」とされるご本尊の阿弥陀如来と同じお姿をした前立本尊(まえだちほんぞん)(レプリカ)が公開されています。
ゲスの勘ぐりかも知れませんが、これについてもご事情は同じなんじゃないでしょうかね。
四天王像は、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)の作とされている東大寺戒壇堂(とうだいじかいだんどう)のものが好きです。
よりリアルで、高尾山のものとは、かなり雰囲気が違いますよね。
国中連公麻呂は、東大寺の大仏鋳造の指揮をとったともいわれ、その当時の第一人者だそうですが、東大寺三月堂(法華堂)の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)像(Amoghapasa Avalokitesvara:アモーガパーシャ・アヴァローキ・テーシュワラ)、その脇侍で、本当は、梵天(Brahman:ブラーフマン)と帝釈天(Indra:インドラ)として造形されたのではないかといわれる伝・日光菩薩像、伝・月光菩薩像、前述の新薬師寺の十二神将像、唐招提寺の鑑真和上像などの作者でもあるようです。
東大寺の三月堂(法華堂)と言えば、そこの「仏像群」も面白いです。
以前、『役行者のお使いの鬼のカップルは「かかあ天下」?』の稿で、東大寺の三月堂(法華堂)のご本尊として祀られている不空羂索観音を護衛する「梵天と帝釈天の外見が反対である」という不思議について言及しました。
「左上右下の原則」に基づき、梵天が向かって右、武闘派の帝釈天が向かって左に配置される筈なんですが、梵天とされる向かって右の像の衣の下に鎧(よろい)が見えるのです。
三月堂(法華堂)については、10年ほど前までは、前述の伝・日光菩薩像、伝・月光菩薩像の二体の仏像(外見は、梵天、帝釈天)が、ご本尊の不空羂索観音の脇侍として配置されていたのですが、これらの仏像は、現在では、三月堂(法華堂)ではなく、東大寺ミュージアムで見学することが出来ます。
日光菩薩・月光菩薩のペア、或いは、梵天・帝釈天のペアの何れであったとしても、三月堂(法華堂)で、不空羂索観音の脇侍とするには、元々「しっくりこない」ということもあったのかも知れませんね。
前述の通り、日光菩薩・月光菩薩のペアは、薬師如来の脇侍として配置されるのが“通り相場”で、東大寺の「寺伝」からは、日光菩薩と月光菩薩のように示されているものの、「沓(くつ)を履いている」という菩薩像にはない天部(一般的には元々ヒンズー教の神々で、仏教の守護神となったもの)の特徴もあり、外見からも、実は、「梵天・帝釈天像ではないか」という説が有力で、敢えて、「伝」の文字が冠されているようです。
そもそも、三月堂(法華堂)に、「外見が梵天と帝釈天のペアの像」が二組もあるというのも変ですし、残された梵天・帝釈天にしてもご本尊以上の大きさで、(ご本尊との釣り合いから考えても)両方のペアとも三月堂(法華堂)には、後から持ち込まれたのではないかという見方もあるようです。
東大寺ミュージアムに移管された二体の像のうち、伝・月光菩薩は、私が小学生の頃夢中になって集めた記念切手(第一次国宝シリーズ)のデザインにも採用されていますので、私と同年輩以上の方々には、割と馴染みのあるお姿かも知れません。
余談ですが、三十三間堂の千手観音像を含めて殆どの千手観音と言われる仏像は、十一面四十二臂(顔が11で、腕が42本)が一般的なデザインです。
実際に、千本の手を表現した作例としては、奈良の唐招提寺金堂像(立像)、大阪の葛井寺(ふじいでら)本尊像(坐像)、京都の寿宝寺(じゅほうじ)本尊像(立像)など少数のようです。
唐招提寺のお坊さんに聞いたところでは、唐招提寺のものは、実際には手の数は953本だそうで、長い年月のうちに一部が欠けてしまったようだとのことでした。
既に、話が長くなっていますので、仏像の種類についてお話しするのは次回ということにさせて下さい。
早速拝読いたしました。特にコメントは無いのですが、
*一面二臂(いちめんにひ)(文字通りの意味は、顔が一つで臂(ひじ)が一つ)
*十一面四十二臂(顔が11で、腕が42本)
もちろん間違いではありませんが表記の統一と言う点から「腕」は「臂」にした方が良いのではないでしょうか?
コメントありがとうございます。「臂」の文字が気になる方もいるかなと思って、一つ目については。「文字通りの意味は、臂(ひじ)が・・・」と解説を加えたのですが、二つ目の十一面四十二臂についての解説は、寧ろ蛇足だったかも知れませんね。ご容赦下さい。
個人的には興福寺の宝物殿が見応えありました。天平時代の仏像には何か心奪われるものがあります。あんな古い時代の人々が一生懸命製作している様を想像しています。
阿修羅像は人気がありますね。一つ一つの仏像を個別に鑑賞したい人には良い場所かも知れませんね。