「イケてる仏像が見当たらない高尾山」の稿で、京都や奈良でお気に入りの仏像を見つけたお話をしましたが、実は、その前に、入門書を読みながら、仏像の種類は大別して四つに分類されることを学びました。
即ち、①仏陀(ぶっだ)(Buddha:ブッダ)或いは如来(にょらい)、②菩薩(ぼさつ)(Bodhisattva:ボーディサットワ)、③明王(みょうおう)(Vidyaraja:ヴィドゥヤ ー・ラージャ)、④天部(てんぶ)或いは、天(てん)(Deva:デーヴァ)の四つです。
先ず、仏陀、或いは如来ですが、これが仏像としては最高位にランクされます。
これらは、悟りを開いた方々です。
最も有名なのは「釈迦牟尼仏陀(しゃかむにぶっだ)(釈迦如来)(Shakyamuni:シャーッキャムニ)」であり、ご存知の通り、仏教の創始者です。
他には、「西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)」の教主(きょうしゅ)で、人々を西方極楽浄土に導く「阿弥陀如来(あみだにょらい)(Amitabha:アミターバ)」、東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の教主で薬王院の開山本尊である薬師如来(やくしにょらい)(Bhaishajyaguru:バイシャッジヤグル)などがあります。
宗派毎に異なる如来像が祀られます。
真言宗のような密教では、大日如来(Mahavirocana:マハーバイローチャナ)がこの世の最高の存在、根本仏(こんぽんぶつ)とも言われ、宇宙そのものであるとされています。
真言宗では、釈迦如来や阿弥陀如来のような諸仏は大日如来の化身であるという考え方を採ります。
大日如来は、宇宙の真理を象徴しているため、髪型は宝髻(ほうけい)(髪を結い上げた形)、宝冠を被り、アクセサリーを付けるなど「王者の姿」をしています。
しかし、大日如来を例外として、如来像は、一般に、「お釈迦様が出家した後のイメージ」を基に作られていますので、通常、髪型は螺髪(らほつ)(縮れて巻き毛になっているもの)、仏教の発祥地であるインドの気候を反映した“夏物の”簡素な僧衣をまとった姿で表現されています。
このため、特に、釈迦如来と阿弥陀如来の区別は難しいものとなっています。
しかし、この二つは印契(いんげい)(印相(いんそう)mudra:ムドラー)(両手の手指を結んで組み合わせた形)で区別することが出来ます。
印契は、お釈迦様のしぐさを基にしたもので、最初に基本となる「釈迦の五印」が生まれたといわれています。
施無畏印(せむいいん)は、右手のひらを前に向け、胸のあたりで掲げる印です。
恐れをなくすという意味があり、見る人に安心を与えます。
与願印(よがんいん)は、左手の先を下に向け、手のひらを外側にした印です。
人々の願いを受けとめ、叶えるという意味があります。
禅定印(ぜんじょういん)或いは、法界定印(ほっかいじょういん)は、お釈迦様が悟りを開いたときにしていた印で、左手の上に右手を重ね親指の先を合わせます。
説法印(せっぽういん)或いは、転法輪印(てんぽうりんいん)は、お釈迦様が最初の説法をしたときの印です。
お釈迦様は説法時にさまざまな身振りをしていたため、説法印も一つではないようです。
親指と人差し指で輪を作った両手を胸の前に掲げる姿がよく見られます。
降魔印(ごうまいん)は、禅定印(法界定印)を解いて、右手の人差し指で地に触れる印です。
瞑想していたお釈迦様を悪魔が邪魔しに来たとき、お釈迦様が地に触れると、大地の神が現れて悪魔を退散させたと言われています。
次の二つの仏像は、最初のものが釈迦如来で、禅定印(法界定印)を、次が阿弥陀如来である鎌倉大仏で、阿弥陀定印(あみだじょういん)をそれぞれ結んでいます。
失敗作とか欠陥品になると言う意味で「お釈迦になる」という表現がありますが、一説によれば、これは、ある鋳物師(いものし)が阿弥陀如来像の注文を受けて、印契のデザインを間違えた為に、釈迦如来像の様な仕上がりになってしまったというエピソードに由来しているようです。
鎌倉の高徳院(こうとくいん)の大仏は阿弥陀如来の坐像ですが、有名な女流歌人である与謝野晶子が読んだ和歌を刻んだ歌碑が、大仏の裏手の高徳院の境内に建てられています。
歌碑に刻まれている和歌は、「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」というものです。
つまり、あの与謝野晶子ですら、阿弥陀如来像と釈迦如来像の区別がつかなかったということです。
阿弥陀仏では、語呂も悪かったのでしょうか?
似た様な誤解は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品の中でも見られます。
「ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池(はすいけ)のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」という書き出しですが、西方極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来というのが正解です。
高名な歌人や歴史に名を残す文豪も間違えるんですから、なんだかほっとしますね。
それとも、それは浅はかな凡人の感想で、「文学的な真実」を優先すると、「阿弥陀様」より「お釈迦様」の方が全体として“座りが良かった”のかも知れません。
仏陀或いは如来の次にランクされるのが菩薩です。
悟りを開くための修行に身を置いている方々ですが、経典に出てくる聖なる苦行僧(くぎょうそう)をも指し、彼等は、如来の予備軍です。
その多くが、「お釈迦様が王子であった頃のイメージ」を基に仏像が作られているため、一般的には、髪型は宝髻(ほうけい)、腕輪やイヤリング等の装飾品を伴う「古代インドの貴族の格好」をしています。
最も一般的なのは観音菩薩(Avalokitesvara:アヴァローキテッシュワラ)であり、暖かく微笑みながら人々を救済します。
カメラ・メーカーのキャノンの社名は、「観音様の御慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創る夢を実現したい」という願いを込めた、観音菩薩に由来するものといわれており、当初の会社のロゴには千手観音(Sahasrabhuja Arya Avalokitesvara:サハスラブジャ・アーリヤ・アヴァローキテーシュワラ)のモチーフが使われていたようです。
観音菩薩は、しばしば慈愛の女神にも例えられます。
性別はないそうで、今の時代にはあっているかも知れませんね。
観音菩薩は、全ての人々を救うために仏陀としての「悟りの境地」に入るのを控えていると言われています。
地蔵菩薩(Ksitigarbha:クシティガルバ)の外見は、例外的なもので、娑婆世界(しゃばせかい)(この世)に留まり、人々を救済しているため、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に衆生救済のシンボルといわれる如意宝珠(にょいほうじゅ)(願いを叶えてくれる宝珠)を持つお坊さんの姿をしています。
以前、鎌倉の長谷寺で、前アイルランド大使のご主人に、地蔵菩薩の持物(じもつ)について聞かれて、「薬壺(やっこ)」ではないかと答えてしまった恥ずかしい思い出があります。
一瞬、通訳ガイドの心得として、「ゲストの質問に対して“知りません”という回答しか出来ないのでは、ガイド失格」という思いが頭をかすめて、確信のないまま返事をしてしまいました。
ひょっとして、彼は正解を知っていて、私の通訳ガイドとしての実力を試したのかも知れませんが、上記の通り、正解は「如意宝珠」です。
もう一つの例外は、馬頭観音(ばとうかんのん)(Hayagriva:ハヤグリーヴァ)で、憤怒相(ふんぬそう)をしており、馬頭明王(ばとうみょうおう)とも呼ばれています。
次に示されているのは、鎌倉の長谷寺にお祀りされている十一面観音像(Ekadasa Mukha Avalokitesvara:エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュワラ)ですが、地蔵菩薩のように右手に錫杖を持つという特徴があり、衆生救済(しゅじょうきゅうさい)のためならどこでも行きますよといった風情で、この観音様の「機動性」を窺わせるデザインとなっています。
又、左手に水瓶(すいびょう)を持つという点を合わせて奈良の長谷寺の十一面観音像と同じ作りになっています。
奈良の長谷寺に対して、鎌倉の長谷寺は新長谷寺とも呼ばれているようです。
鎌倉の長谷寺の寺伝によれば、これらの二つの十一面観音像は、奈良の長谷の森で伐採された同じ一本の樟(くすのき)の大木から作られたものだそうで、鎌倉の長谷寺に安置されているものは、衆生救済を祈願して大阪湾に奉じられた一方が、15年後に相模湾の海上に現れたものを、鎌倉の長谷寺にお祀りしたということになっているようです。
奈良の長谷寺のものに比べるとずっと新しいというような情報もあり、本当のところはどうなのでしょう?
それでも、「どう見ても、弥勒菩薩(Maitreya:マイトレーヤ)でないかと思える中宮寺のご本尊は、寺伝により如意輪観音(Cintamanicakra:チンターマニチャクラ)とされているので、どうしても如意輪観音である」ように、寺伝にあることがお寺側としての真実になるようです。
如来と菩薩の他、明王と天部(或いは、天)があります。
明王は、菩薩に次ぐ第三位にランクされ、一般的には元々ヒンズー教の神々です。
真言宗のような密教において、最高位にある大日如来の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を教化する役割を担った、総じて髪型は炎髪(えんぱつ)(髪が逆立ち炎のようになった形)、忿怒相(ふんぬそう)の強面(こわもて)の仏です。
不動明王は大日如来の化身(権化)とされていますが、強面には違いないものの、他の明王のように髪型が炎髪ではなく、頭髪を束ねて左側に“おさげ”のように垂らしていますが、これは弁髪(べんぱつ)と呼ばれます。
第四位は、天部(或いは、天)は、一般的には元々ヒンズー教の神々で、仏教の守護神となったものです。
但し、七福神を構成する中国の道教の神様(福禄寿(ふくろくじゅ)、布袋(ほてい)、寿老人(じゅろうじん))や日本の神様(恵比寿)も天部に分類されるようです。
蓮華王院本堂(三十三間堂)の千一体の千手観音をお守りするのは、高尾山でも見ることのできる四天王、金剛力士等の他、興福寺所蔵の仏像が女性にも人気の阿修羅(あしゅら)(Asura:アスラ)等を含むいわゆる二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)と、彼らの部下であるとされている風神・雷神の合計三十体からなるガードマン達ですが、これらも全て天部に分類されています。
高尾山の天狗のうち、烏天狗は、天部の迦楼羅天(かるらてん)(Garuda:ガルダ)をモデルとして日本固有のものとして造形されたのではないかと思われます。
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)(神は仏が世の人を救うために姿を変えてこの世に現れたとする神仏同体の説)においても、天狗の本地仏は、小天狗(烏天狗)に似た迦楼羅天であるとも言われています。
以上の分類には入りませんが、唐招提寺の鑑真和上(がんじんわじょう)坐像、興福寺の無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の空也上人(くうやしょうにん)像、高尾山にもある弘法大師、薬王院の開山の行基菩薩、同中興の祖、俊源大徳の像などの高僧の像も広い意味では仏像といえます。
次回は、仏像(或いは神像)としての、飯縄大権現像についてお話ししたいと思います。