高尾山の薬王院に参拝する方には、中興本尊(ちゅうこうほんぞん)である「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」のお姿をご覧になる機会として、次のようなものがあります。
⓵ 常時、屋外で(例えば、高尾山中腹の有喜苑(ゆうきえん)に立ち寄れば、「柴燈護摩壇(さいとうごまだん)」前にあるブロンズ像、薬王院大本堂左手の石段を登ってすぐのところにある「飛飯縄堂(とびいづなどう)」の石像等の参拝が可能)
⓶ お金を出せば、大本堂で(最低3千円を支払ってお護摩祈祷に参加すれば、「御前立本尊(おまえだちほんぞん)(御本尊のレプリカ)」の参拝が可能)
⓷ 運が良ければ、飯縄権現堂で(毎月21日の「飯縄大権現」の縁日に行われるご開帳により、江戸時代に作られたと言われる古い「御前立本尊」の参拝が可能 〜 新型コロナウィルス肺炎感染防止のためご開帳はしばらくお休みのようですが、 私も、コロナ騒ぎの前に、一度見る機会があったものの、元々黒っぽい像であるためか暗くてあまりはっきりは見えませんでしたが・・・)
薬王院大本堂も飯縄権現堂も御前立本尊ばかりなので、薬師如来と同じく、やはり「本物」は存在しない疑いはありますが・・・
また、薬王院中興の祖といわれる「俊源大徳(しゅんげんだいとく)」についても、常時、四天王門手前の右側にある石像を目にすることができます。
10月4日が「俊源大徳」の命日となっており、この場所で、「中興俊源大徳忌」という法要も営まれるようです。
ご覧の通り、「俊源大徳」の石像は、山伏の装束(しょうぞく)で、頭襟(ときん)と呼ばれる帽子を被り、右手に錫杖(khakkhara:カッカラ)(杖の先に錫製(すずせい)の輪が付いているもの)、左手に金剛杵(vajra:ヴァッジュラ)を持っています。
「俊源大徳」像の前には法螺貝(ほらがい)が置かれているというデザインになっています。
法螺貝は、山伏のシンボルともいえる楽器で、読経やお祈りに合わせて、又、山中での存在や動きを知らせ合うために吹かれます。
この石像について、余りもっともらしくない点があるとすれば、彼が履いている二本歯の下駄です。
実際、山伏が履く下駄としては一本歯の高下駄が一般的で、慣れれば、その方が山道を歩くのに適しているんだそうで、体幹を鍛える訓練には、もってこいだとも言われています。
私が、2016年の夏に羽黒山で出会ったガイド役の山伏の方も、一本歯の高下駄を履いていました。
実は、高尾山で時折見かける山伏姿の方々も、履き物は一本歯の高下駄ではなく、草鞋(わらじ)や二本歯の下駄というパターンが多いようで、ここの「俊源大徳」像もその例に倣(なら)ったのでしょうか?
一方で、薬王院の開山である「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)」と、開山本尊である「薬師如来」については、多くの薬王院の参拝者にとっては、その痕跡(こんせき)すら意識するのが困難ではないかと思われます。
前述のように、大本堂のお護摩祈祷に参加すると、「飯縄大権現」の「御前立本尊」に参拝できるのに、同じく、大本堂に安置されているはずの「薬師如来」については、現状は、秘仏ということで、ご尊顔を拝することもできません。
薬王院側も、「行基菩薩」と「薬師如来」については、何故か、あまり力が入っていないという印象を受けます。
薬王院にとって、高尾山は、今や修験道の道場であり、「薬師如来」や「行基菩薩」は、すっかり過去の仏、過去の人になってしまったということなんでしょう。
それでも、よくよく探してみると大本堂に隣接する鐘楼(しょうろう)の脇には、仏教のシンボルともいえる蓮華(れんげ)を手にした「行基菩薩」のお姿のレリーフがあるんですよ。
しかし、秘仏である「薬師如来」に至っては、そういった直接的に参拝者の目に触れるものが全くないようです。
それでも、敢えて、「薬師如来」に関連する何かを探してみると、四天王門から薬王院の境内に入ってすぐのブロンズのペアの天狗像の斜め向かい辺りに、今世紀になって(2003年)、京王電鉄の寄附で作った「十二神将像(じゅうにじんしょう)」のレリーフを備えた「方位塔」があります。
実は、「十二神将」のお役目は、「薬師如来」を守護奉(しゅごたてまつ)ることなのです。
「十二神将」は、それぞれ元々古代インドで悪魔(Yaksa:ヤクシャ(夜叉))であったものが、毘沙門天(多聞天)(Vaisravana:ヴァイッシュラヴァナ)に仕える仏教の守護神となったものとされています。
「十二神将」は、四天王や金剛力士のような「天部」に属しますが、それぞれが、諸々の如来、菩薩、明王の化身であるともされています。
又、薬王院の方位塔に示されているように、「十二神将」のそれぞれは、十二の方角(及び、十二の時、十二の月)を守るとされ、「十二支」とも結び付けられています。
「十二神将」には、それぞれ7,000人の従者がいるとされ、総計8万4千の従者を率いて「薬師如来」を守護奉るそうなので、ガードマンの数だけ見るとVIPの警護体制としては完璧ですね。
今度、高尾山を訪れる機会があったら、この「方位塔」で、ご自分の「干支」に対応する「十二神将」がどなたなのか確かめてみては如何でしょう?
私も、奈良の興福寺を訪れた際、自分の「干支」の「酉」に対応するのが「迷企羅大将(めきらたいしょう)(Mekhira:メーキラ)」であることを初めて知って、そのお姿を刻んだお守りを衝動(しょうどう)買いしてしまったことがあります。
高尾山でも、「干支」毎に「十二神将」のお守りを用意して販売したら、煩悩多き薬王院の参拝客には結構売れるんじゃないかと思うんですが、「薬師如来」関連グッズということになると、日頃、蔑(ないがし)ろにしているだけに、薬王院側も力を入れにくいのかも知れません。
因みに、「十二神将」のうち、「北西」を守護する「宮毘羅大将(くびらたいしょう)(Kumbhira:クンビーラ)」が、「十二神将」のリーダーとされています。
「Kumbhira:クンビーラ」とは、サンスクリット語で鰐(わに)を意味し、元々、「帝釈天(Indra:インドラ)」のペットであるガンジス川に棲む鰐が、仏教の守護神である「宮毘羅大将」になったとも言われています。
「十二神将」のリーダーだから、高尾山でも特別待遇を受けているのかどうかは不明ですが、高尾山の中腹の「金比羅台園地(こんぴらだいえんち)」にある「金比羅社(こんぴらしゃ)」には、「宮毘羅大将」と同一視されている「金比羅大権現(こんぴらだいごんげん)」が祀られています。
ところが、金比羅台園地は、必ずしも、「宮毘羅大将」の本来の「持ち場」であるはずの、薬王院の「北西」に位置しているというわけではなく、金比羅大権現は、寧ろ「北東」の「丑寅(艮)(うしとら)」の方角(「鬼門(きもん)」)を守護しているというのが実情です。
「金比羅台園地」は、1号路脇の標高387メートルの地点にある眺望に優れた場所です。
ケーブルカーの「高尾山駅」近くにあり、遠く新宿の高層ビル群や東京スカイツリーまで見渡せる「スミカ前展望台」や、1号路沿いの「十一丁目茶屋」の側で、相模湾まで望むことができる「霞台園地(かすみだいえんち)」ほどには知られてはいませんが、1号路を使って徒歩で下山される方にはおススメです。
「金比羅台園地」には、「麦蒔(むぎま)き銀杏(いちょう)」と呼ばれる銀杏の大木があり、昔、麓(ふもと)の農家の人は、この銀杏の大木の葉が黄色に色付くのを待って、麦を蒔いていたと言われています。
私たちが、高尾山頂でも、東京都水道局のサービスを利用して、水道水を飲んだり、ウォシュレット付きの水洗トイレを使用できることについては、「麦蒔き銀杏」に隣接する「第二ポンプ所」の貢献も大であると申し上げておきましょう。
「十二神将」の話からちょっと脱線してしまいました。
本題に戻りまして、「薬師如来」像をお祀りする場合、一般的には、奈良の新薬師寺に見られるように、「十二神将」が外側を向いて取り囲んで守護したり、奈良の薬師寺金堂に見られるように、「日光菩薩(Suryaprabha:スーリヤップラバ)」(向かって右側)と「月光菩薩(Candraprabha:チャンドラップラバ)」(向かって左側)を脇侍(わきじ・きょうじ)として従えたりするのが、お決まりのようです。
ところが、秘仏として薬王院の本堂に安置されているといわれる開山本尊の「薬師如来」については、実際には過去の火災等で焼失しているのではないかと疑われるような状況があり、勿論、「日光菩薩」や「月光菩薩」も、とんとお見かけすることはありません。
実際には存在しないVIP警護のために費用を使うのは勿体無いので、大スポンサーの京王電鉄にちょっと資金援助してもらって「十二神将」の「方位塔」ぐらいでお茶を濁そうというのが、薬王院のスタンスかもしれませんね。
一方で、薬王院は、「行基菩薩」や「薬師如来」に関係ないところでは、盛んに「設備投資」を行なっているように思われます。
例えば、蛸杉の近くの「開運ひっぱり蛸」は、『樹齢500年近い老木である蛸杉(開運杉)を保護するためにも、蛸杉の盤根(ばんこん)(曲がりくねった根)に触ったり、そこによじ登って記念写真を撮るようなお行儀の悪いことはご遠慮下さい、その代わり、こちらは「お触り自由」ですよ、撫(な)で撫ですれば、ご利益もありますよ』という趣旨で設けられたものです。
よく見ると「蛸杉」の前には、「お触り防止用」の金網が張ってあり、その上には「蛸杉」からのメッセージも掲示されているのですが、それでも不心得者が跡を絶たなかったようで、「蛸杉」の代用品として、「開運 ひっぱり蛸」を用意したという次第です。
この他にも、「高尾山でドッコイショ!」の稿でご紹介した「六根清浄石車(ろっこんしょうじょういしぐるま)」、『高尾山は「煩悩まみれの凡人」が目指すべき理想の霊山』の稿でご紹介した「迷散筒(めいさんとう)」、「新型コロナウィルス肺炎とは無関係の高尾山の三密の道」の稿でご紹介した「三密の道・苦抜け門」、後述の「願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)」等、「主要顧客」である煩悩多き参拝者達をを魅了する?新手の宗教施設を次々と導入し、今や、神仏習合のテーマパーク、或いはコンビニと化してしまった(かに思える)薬王院の積極的な投資活動を見ていると、「行基菩薩」と「薬師如来」に対してだけは、かなりの「塩対応(しおたいおう)」という感があります。
因みに、「願叶輪潜」は、「大天狗」と「小天狗」のブロンズ像の向かい側、「十二神将の方位塔」に隣接する、2010年に建立された施設で、『願い事を強く念じながら、大きな石造りの輪を潜って、その向こうにある山伏の錫杖を模した巨大なモニュメントに付属する遊環(ゆかん)と呼ばれる輪を棒で叩いて鳴らすと願いが叶う』という「子供騙し」とも思われる代物(しろもの)です。
しかし、意外なことに、これが、外国人観光客を含めて薬王院参拝者には大人気で、しばしば長い行列ができているのは事実で、『薬王院のビジネス・センスは侮れないぞ』という気もしてきます。
今回は、高尾山で薬王院の開山「行基菩薩」と開山本尊「薬師如来」の痕跡を追ってみましたが、その副産物として、改めて、薬王院幹部の「確かな経営手腕」を感じさせられる結果となりました。
どこぞの宗教団体のように、「霊感商法」、「不当な献金要求」などと後ろ指を刺されることもなく、『主要顧客である煩悩多き参拝者達に、低廉な代価で、夢や娯楽を与える』という、薬王院のビジネス・モデル?は上手く機能しているようです。
因みに、薬王院の高額献金者の常連は、法人では、高尾山のお陰で大いに儲けさせてもらっている「京王電鉄」と「高尾登山鉄道」、個人では、八王子在住の演歌歌手の「北島三郎」さんです。
「北島三郎」さんは、個人としては、現時点で最も有力な薬王院の後援者で、四天王門を潜ってすぐの左手奥に、彼が歌う「髙尾山」の歌碑もあります。
歌碑の右手にある彼の手形のレリーフに触ると、「髙尾山」の歌が流れる仕組みになっています。
「京王電鉄」も「高尾登山鉄道」も、新型コロナウィルス肺炎の流行前は、杉苗一本当たり10円換算で、毎年、三十万本(300万円)の寄付を行なっていた時期もありましたが、コロナ禍で、売り上げが落ちたせいか、このところ寄付金の額も減っているようです。
皆さんも、薬王院に、杉苗1000本以上を奉納(1万円以上の寄付)されますと、その翌年に、「北島三郎」さんのお名前よりずっと手前の方になるとは思いますが、お名前が1号路沿いに掲示されますよ。