新型コロナウィルス肺炎とは無関係の高尾山の「三密」

高尾山の薬王院の表参道に当たる1号路を辿(たど)って、一の鳥居たる浄心門(じょうしんもん)をくぐってしばらく進むと、登山道は左右二手に分かれます。

左手は、「男坂」と称する急な108段の石段を含むコース、右手に進むと、「女坂」と称する名前からも連想されるなだらかな登山道となります。

ここでは、『煩悩多き凡人達は、当然、左手の「男坂」を選んで、108段の石段を一歩、一歩踏みしめながら、108の煩悩を少しでも減らすことに努めるべきである』とアドバイスさせて頂きます。

男坂の108段の石段

果敢に「男坂」にチャレンジすることにした方達は、息を切らしながらやっと108段の石段を登り切ったところで、ちょっと休んで、呼吸を整えてください。

まだまだ、安心してはいけません。

顔を上げると、右手に、「男坂」と「女坂」に挟まれた一段高い場所にある「有喜苑(ゆうきえん)」へと通じる「三密の道(さんみつのみち)」と呼ばれるもう一つの石段のコースが見えます。

更に、三密の道の途中には、「苦抜け門(くぬけもん)」と呼ばれる石の門が見えます。

三密の道・苦抜け門

一方で、道なりに進めば、ここからは「女坂」と同様のなだらかな登山道で、少し歩けば「女坂」との合流点に達するのですが、ここは、もう一踏ん張りして、僅かながらより苦難の「三密の道」を撰択いたしましょう!

実は、「三密の道」も「苦抜け門」も、商売上手な薬王院により、比較的最近設けられたものです。

「身(しん)(身体:身体感覚)」・「口(く)(言葉)」・「意(い)(心:イメージ)」が、世俗の煩悩で汚(けが)れていることを、仏教では、「三業(さんごう)」と呼ぶそうです。

これらは、必ず善悪,苦楽の結果(果報)をもたらし、「業」があるかぎり「輪廻の苦しみ」は続くとされています。

大日如来の「身」・「口」・「意」は、通常の人間の思考では計り知れないということから、「密なるもの」という意味で「三密(「身密」・「口密」・「意密」)」と呼ばれるそうです。

新型コロナウィルス肺炎感染拡大防止のための「三密(「密閉」・「密集」・「密接」)」の回避とは全く関係がありません。

自らの「身」・「口」・「意」という三つのはたらきを、大日如来の「三密(「身密」・「口密」・「意密」)」に合致させ、大日如来と一体になるべく続けるのが「密教の修行」で、最終的には、生きたまま仏になること(「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」)を目指します。

簡単に言えば、「身密」は「手に印を結ぶこと」、「口密」は「真言(mantra:マントラ)を唱えること」、「意密」は「心に大日如来を思い浮かべること」で、この三つを整えることで大日如来と一体になり、「即身成仏」することができると説かれているようです。

大日如来坐像(円成寺)

ご存知の通り、偉大なる「弘法大師空海」は、「即身成仏」を成し遂げられて、今でも高野山の奥之院で人々のために祈りを捧げていらっしゃると云われています。

因みに、「真言(mantra:マントラ)」とは、「真実の言葉、秘密の言葉」を意味し、仏の言葉を音写したもので、仏や菩薩の誓いや教え、功徳などを秘めているとされています。

最も短いお経といわれる「般若心経(はんにゃしんぎょう)」を聞いたことのある方、ご存知の方は少なからずいらっしゃると思います。

般若心経の中では、最後の「ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ」という意味不明の部分が「真言」だそうです。

高尾山でボランティア通訳ガイドの活動を始めてから、高野山金剛峯寺のお坊さん達の読経を収録した「心と体が安らぐ般若心経CDブック」というのを買って、たまにiPhoneで聴いています。

CDブックの解説によれば、この「真言」の部分の日本語訳は、「往こう往こう彼岸(悟り)に往こう、皆で彼岸に往きましょう」という、他愛もないフレーズでした。

私も、一応、この短い「真言」の部分だけは覚えましたが、そのくらいのことでは煩悩が消えることはなさそうです。

たまに高尾山を訪れて、「天狗焼(てんぐやき)」やら「三福(みつふく)だんご」やらを頬張りながら、『帰りには、ケーブルカー清滝駅(きよたきえき)の前の「高橋家」で美味い蕎麦でも食べて帰ろうかな』などと、山道を歩きながら考えている煩悩多き凡人達には、「即身成仏」など、とても無理なことです。

因みに、「天狗焼き」は、小豆ではなく黒豆の餡(あん)が特徴の人気No. 1スイーツで、店の前に行列ができるほどです。

天狗焼(高尾登山電鉄ホームページより)

ブラジルからのゲストが「ブラジルでも黒豆をよく食べるんだ!」と嬉しそうに頬張っていましたが、日本の黒豆は大豆で、彼らが食べているのは黒いインゲン豆のようです。

「三福(みつふく)だんご」は、特製の胡桃味噌(くるみみそ)をぬったお団子で、「大福」「幸福」「裕福」という三つの福をもたらすとされ、食べすぎるとお腹も「満腹(みつふく?)だんご」になるというわけです。

これらは、ケーブルカーの「高尾山駅」を降りると、すぐに目に飛び込んでくるスイーツなので、煩悩多き凡人達にとっては、その前を素通りするのはとても難しいようです。

下山時にも、ぼんやりと、山麓で食べる予定の美味しい蕎麦のことを考えながら、ケーブルカーの列と間違えて、思わず、隣の「天狗焼き」の行列に並んでしまう人もいますので、気をつけてください。

でも、ご安心下さい。

高尾山では、そのような煩悩多き方達も、「三密の道」を通って、「苦抜け門」をくぐることで、煩悩をなくして悟りの境地に至り、簡単に「輪廻の苦しみ」から「解脱(げだつ)」することが出来るのです。

もっとも、高尾山では「大日如来」が、わざわざお出ましになることはなく、その「教令輪身(きょうりょうりんしん)」たる「不動明王」の、そのまたアバターの飯縄大権現(いづなだいごんげん)のレベルの「三密(「身密」・「口密」・「意密」)」に、煩悩多き凡人達の「身(身体:身体感覚)」・「口(言葉)」・「意(心:イメージ)」とを一致させるというぐらいが、最終ゴールのようです。

「三密の道」を通って、「苦抜け門」をくぐるだけなのですから、「身の程知らずの高望み」はご遠慮ください。

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