高尾山のお稲荷さんはインドの神様?

薬王院の「飯縄権現堂」に並んで、「福徳稲荷社」と呼ばれる「流造(ながれづく)り」(切妻屋根の前面が長いもの)「唐破風(からはふ)」(中央部を凸型に、両端部を凹型の曲線状にした破風)付きの建築様式の稲荷神社があります。

日本には稲荷神社が4万社以上あるともいわれ、総本社は「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)」(京都市伏見区)とされています。

江戸初期の「はやり言葉」に、『江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞』というのがあったそうです。

それほど、どれも数が多かったということですね。

今でも、稲荷神社の数は、第二位の八幡神社を上回って日本最多ともいわれており、私の実家の敷地内にも「屋敷神(やしきがみ)」としてのお稲荷さんが祀られています。

もっとも、八幡神社の方が多いという見方もあり、数え方によっては一位、二位が入れ替わります。

高尾山 福徳稲荷社

稲荷神(いなりのかみ・いなりしん)は、稲の豊穣を守る神様で、「稲(い)生(な)り」がその語源とされています。

稲荷神は、五穀を司(つかさど)る女神である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」(古事記)(「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」(日本書紀))と同一視され、奈良時代の初めに、渡来系の秦氏(はたうじ・はたし)が、現在の「伏見稲荷大社」にお祀りしたのが、稲荷神社の起源といわれています。

当初は、農業の神として崇められていましたが、日本経済の商工業化と共に、徐々にビジネスの神として信仰されるようになりました。

私は、作家の「池井戸潤(いけいどじゅん)」氏の小説のファンで、彼の作品はほとんど読んでいますが、「半沢直樹 アルルカンと道化師」という作品の中では、主人公の「半沢直樹」が融資課長として勤務している「東京中央銀行 大阪西支店」のビルの屋上にも、「東京中央稲荷」という「土佐稲荷神社」の分社があるという設定になっています。

土佐稲荷神社(大阪府大阪市西区)

出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d9/Tosa-Inari-Jinja-Haiden1.jpg

「土佐稲荷神社」というのは、創業者である「岩崎弥太郎」の時代から、三菱グループの守護社のようですから、「東京中央銀行」のモデルは、以前、作者の「池井戸潤」氏も勤務していた、現在、“半沢頭取“が率いる「三菱UFJ銀行」のようですね。

物語の中でも、「土佐稲荷神社」は重要な役割を果たし、どうやら「半沢直樹」もその御利益(ごりやく)に与(あずか)ったようです。

東京でも、古くからのビジネス街である日本橋や銀座のビルの屋上などにも稲荷神社が鎮座しているケースが見受けられます。

「三囲神社(みめぐりじんじゃ)」(東京都墨田区向島)の分社で、日本橋三越の屋上にある「三囲稲荷大明神(みめぐりいなりだいみょうじん)」などが好例といえるのではないかと思います。

三囲神社分社(日本橋三越屋上)

「三囲神社」の主祭神も「宇迦之御魂神」で、江戸時代から、豪商「三井家」の守護社とされていますが、三囲は「みつい」とも読めますし、「囲」の文字を見ると、囗(くにがまえ)の中に「三井」の「井」が入っており、「三井を守る」と考えられたからとのことです。

つまり、三菱・三井という日本を代表する企業グループの二つが、ビジネスの神として共にお稲荷さんを信仰してきたというわけですね。

稲荷神社にお参りすると見られるお馴染みの風景かもしれませんが、日本橋三越屋上の三囲稲荷大明神の赤い幟旗(のぼりばた)にも「正一位(しょういちい)」の文字が冠されています。

これは、平安時代初期に、第53代淳和天皇(じゅんなてんのう)が病に臥(ふ)し、それが、『東寺の五重塔の建設に当たってその用材を伏見の稲荷山から伐りだしたことによる祟(たた)り』とされたことに端(たん)を発しているとされています。

即ち、この時、朝廷は、祟りを鎮めるべく、伏見稲荷大社に勅使(ちょくし)を派遣し、御祭神の「宇迦之御魂神」に「「従五位下(じゅごいげ)」の位階(神階)を授けたのが始まりで、それが、徐々に昇進して「正一位」になったということのようです。

更には、「正一位」というのは、伏見稲荷大社だけの「位階(神階)」であったのに、今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、尾上松也(おのえまつや)さんが演じている後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、天皇時代に、伏見稲荷大社を訪れたときに、軽率にも『分社でも同じ「神階」を使ってイイんじゃね?』的な発言をしてしまったそうなんです。

「綸言(りんげん)汗の如し(天子が一度口に出した言葉は汗と同じで、元に戻して取り消すことはできない)」、これが、日本橋三越の屋上にも「正一位」を冠する赤い幟旗の登場が許されるようになった事情についてのお話です。

中国から仏教が伝えられた際、経典(きょうてん)を「鼠」の害から守るため「猫」が船に一緒に乗せられてきたそうですが、それ以前は、「狐」が、稲を食い荒らす「鼠」の天敵として主役的な活躍をしていたようです。

それ故、「狐」が、稲の豊穣を守る稲荷神の良きパートナーであり、稲荷神の神使(しんし)となりました。

今ではペットとしてもすっかりお馴染みの「猫」ですが、その当時は新参者の「外来生物」だったんですね。

もっとも、最近の研究では、弥生時代の遺跡から「猫」の骨が発見されたという情報もあり、仏教伝来より以前から、数は少なくとも、「猫」は日本に生息していたとも考えられます。

もし、「外来生物」の「猫」が、稲作普及の早い時期から幅を効かせていれば、全国4万以上の稲荷神社は、「猫」の像で満ち溢れていたのかも知れません。

諸説ありますが、一般的には、「宇迦之御魂神」を主祭神として祀る稲荷神社として、総本社の「伏見稲荷大社」に、「祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)」(佐賀県鹿島市)と「笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)」(茨城県笠間市)を加えた三社が、日本三大稲荷に数えられています。

伏見稲荷大社 随身門(京都府京都市伏見区)

稲荷の中には 、伏見系以外に曹洞宗(そうとうしゅう)の「豊川稲荷(とよかわいなり)」(曹洞宗妙厳寺(みょうごんじ))(愛知県豊川市)や日蓮宗の「最上稲荷(さいじょういなり)」(最上稲荷山妙教寺(みょうきょうじ))(岡山県岡山市)のように、ヒンズー教の女神である「荼枳尼天(だきにてん)」(サンスクリット語では、Dakini:ダーキニー)を祀る仏教系の稲荷もあります 。

即ち、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)(神は仏が世の人を救うために姿を変えてこの世に現れたとする神仏同体の説)においては、「宇迦之御魂神」の本地仏(ほんじぶつ)は、「荼枳尼天」とも説明されています。

「荼枳尼天」も女神で、「白狐」にまたがり 、左手に「宝珠」 、右手に「剣」を持つ二臂(にひ)像が一般的です。

元々インドにおいて「荼枳尼天」は死肉を喰(くら)うジャッカルに乗る姿で表されましたが、中国人や日本人はジャッカルを知らないので、「狐」になったのだと考えられています。

荼枳尼天像

そして、日本に入ると稲荷信仰と結び付けられ、「狐」を神使とする稲荷神と同一視されるようになりました。

高尾山の「福徳稲荷社」のご祭神(或いはご本尊?)は、仏教系の「荼枳尼天」とされています。

高尾山の「福徳稲荷社」の周りにもたくさんの「狐」の像がありますが、色々なものを口に咥(くわ)えています。

稲荷神社の「狐」が咥えているのは、一般に、米蔵の(成功への)「鍵」、神霊の象徴である「宝珠(玉)」、神の言葉の象徴である「巻物」、富の象徴である「稲穂」などです。

ちょっと脱線しますが、江戸時代から有名な両国川開きの大花火は、「鍵屋」と、「鍵屋」の番頭が暖簾(のれん)分けで立ち上げた「玉屋」が互いに技を競い合うようになって、「かぎやー」、「たまやー」の掛け声とともに一段と盛り上がったと伝えられています。

隅田川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の共演を庶民が楽しんだというわけです。

今でも、各地の花火大会で、「かぎやー」「たまやー」の掛け声だけは残っているようですが、「たまやー」の方が優勢だとか・・・

「鍵屋」と「玉屋」の屋号については、もともと「鍵屋」が信仰していたお稲荷さんに関係が有るといわれており、古い川柳にも「花火屋は何れも稲荷の氏子なり」という一句が残されています。

伏見稲荷大社 随身門前のペアの狐像

伏見稲荷大社の随身門(ずいじんもん)前の狐のペアの像が良い例ですが、稲荷の守りとして門前などに置かれる「狐」のペアを見ると、多くの場合、向かって右の「狐」が「宝珠(玉)」を咥え、向かって左の「狐」が「鍵」を咥えています。

「鍵屋」、「玉屋」の屋号はこの「狐」が咥えた「鍵」と「宝珠(玉)」に由来するようです。

「宝珠(玉)」を咥えると口がやや開いて「阿形」となり、「鍵」を咥えると「吽形」になります。

これも、一種の「阿吽像」といえるでしょう。

「左上右下の原則」から考えると、向かって右側の「宝珠(玉)」を咥えた「狐」の方が上位となりますから、「鍵屋」の番頭だった「玉屋」の下剋上(げこくじょう)という感じですが、実際にも、「玉屋」の花火の方が評判が高かったようです。

しかし、好事魔多し、皮肉なことに、火を操る専門家であるはずの「玉屋」の自宅の失火が原因で大火事となり、その責任を問われた「玉屋」は、江戸所払い(追放)の処分を受け、独立後35年で廃業を余儀なくされました。

それでも、今でも「たまやー」の掛け声が優勢なのは、語呂がいいからか、それとも「玉屋」の不運に同情した「判官贔屓(ほうがんびいき)」ということなのかも知れませんね。

今度、高尾山にいらした時には、「福徳稲荷社」が隣接する「飯縄権現堂」の正面の注連縄の上辺りに施されたペアの「白狐」の彫刻にも注目してみてください。

飯縄権現堂(高尾山薬王院)

「飯縄大権現に日本文化の真髄を見る?」の稿で言及した通り、高尾山の「飯縄大権現」の像は、「大日如来」の化身である「不動明王」と「荼枳尼天」を含む四人のヒンズー教の神々を合成したイメージで、「狐」に乗ったお姿で描かれています。

飯縄大権現像(高尾山 有喜苑)

「飯縄権現堂」に施された白狐の彫刻も、「伏見稲荷大社」の随身門の前の「狐」のペアとはちょっとデザインが違いますが、やはり、向かって右の「白狐」の持物(じもつ)が「宝珠(玉)」、向かって左の「白狐」の持物が「鍵」というコンビネーションになっているんですよ。

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