高尾山には富士山がよく似合う

薬王院境内を経由する1号路を辿って高尾山頂に向かう途中、最後に見かける宗教施設は、「富士浅間社(ふじせんげんしゃ)」と呼ばれる小さな神社です。

実は、「冨士浅間社」は、静岡県に総本社がある「富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)」の分社とされています。

典型的な神社建築である「流造(ながれづく)り」で「唐破風(からはふ)」付きの社殿となっています。

要するに、「高尾山のお稲荷さんはインドの神様?」の稿でご紹介した「福徳稲荷社」と同じ建築様式ということですね。

高尾山 富士浅間社

ちょっと脱線しますが、「唐破風」の名前から、私も、しばらくの間、中国式の、或いは外国風の「破風」という意味で使われているのだろうと誤解していましたが、「唐破風」というのは、平安時代後期から見られる日本独特のもののようです。

日光東照宮、京都の二条城や鎌倉の建長寺などにある「唐門」も、単に「唐破風」が付いているから「唐門」と呼ばれているようで、安土桃山時代に流行したとされています。

建長寺の唐門(神奈川県鎌倉市)

「富士浅間社」は、16世紀前半に、後北条氏(今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条一族と区別するために「後北条氏」としました)第三代目の「北条氏康(ほうじょううじやす)」により創建されたと伝えられ、現在の社殿は、1926年に再建されたものです。

「北条氏康」は、薬王院の薬師堂の修繕費の寄進を行うなど、薬王院にとっては大スポンサーであったようです。

古来、富士山は多くの人にとって信仰の対象でしたが、戦国時代、関東の後北条氏が、甲斐の武田氏と争っていたため、武田氏が支配する「甲斐」を通っての富士山参拝が困難となっていました。

そこで、「北条氏康」が、「富士山本宮浅間大社」のご祭神の御霊(みたま)を高尾山に勧請(かんじょう)(離れた場所にいる神や仏に対して、こちらに来てくれるように祈り願うこと)することにより、富士山参拝の代替として、参拝を希望する自領の人々の便宜を図ったというわけです。

高尾山と後北条氏との縁(えにし)は深く、戦国時代以降、高尾山は国境に位置する重要な軍事拠点と見なされました。

高尾登山の往路、ケーブルカーを利用して、「高尾山駅」で降りると、すぐ右手には「北条氏康」の三男、「北条氏照(ほうじょううじてる)」が築いた関東屈指の山城、「八王子城」が築かれていたという「深沢山(ふかざわやま)」(通称、八王子城山)と、「深沢山」を貫く首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「八王子城址トンネル」を望むことができます。

深沢山と八王子城址トンネル

「富士山本宮浅間大社」のご祭神は、天孫降臨(てんそんこうりん)で知られる天照大神の孫である「瓊瓊杵命(ににぎのみこと)」の妻、「木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)」であるとも言われ、「富士浅間大菩薩」の称号を持っています。

富士山本宮浅間大社(ハローナビしずおかより)

出典:https://hellonavi.jp/detail/page/detail/1211

では、その「御神体」はというと、「蛸杉も横綱も御神体?」の稿でもご説明した通り、「富士山の八号目から上の部分」とされています。

実は、この「宗教的真実」は、1974年4月9日の最高裁判決によって法的にも確認されています。

即ち、第二次大戦後、宗教が自由化され政教分離が図られると、国有地を社寺が使用することはできなくなりました。

国側は、明治期以降、国有化した社寺領地を社寺に譲与することにしたものの、富士山については、それが、「富士山本宮浅間大社」の敷地などの一部のみとされました。

神社側は、これを不服とし、『富士山頂八合目以上の地域は、どの部分をとりあげてみても御神体の一部であり、不可分の全一体をなしている』として、国に対して訴訟を提起し、『最高裁判決で富士山八合目から山頂の土地が神社側の所有と確定した』という経緯があるのです。

しかし、実際に、国側からの譲与が行われたのは、最高裁判決から40年後の2004年でした。

これについては、『静岡県と山梨県の間で、県境について認識の相違あり、それにより手続きが遅れた』という事情が説明されていますが、未だに、県境を巡る合意がなされず、地図の上でも、『富士山の八合目から上はいずれの都道府県にも属していない』ことになっているそうです。

3年ほど前に、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」でも、「富士山の頂上ってなに県?」と、この問題は取り上げられていましたね。

江戸時代には、富士山登拝が広く庶民にも広まったそうですが、江戸時代の終わり頃まで富士山は女人禁制の山でした。

これは、ご祭神である女神の嫉妬を避けるためであるとも言われています。

そこで、江戸時代には多くの女性が、江戸から富士山参拝の「より安易な代替」として高尾山の「富士浅間社」にお参りしたということです。

女性が多く参拝したので、それを目当てに?自然と男性の参拝客も増えて、薬王院も繁盛したようです。

高尾山では、昔から「ジェンダーギャップ指数」が高かったわけですね。

太宰治(だざいおさむ)曰く、『富士には月見草がよく似合う』。

『高尾山には富士山がよく似合う』、私の“迷言”です。

高尾山頂から望む富士山

運よく空気が乾燥して天気が良ければ、高尾山頂から遠く富士山の姿を望むことができます。

正に、「富士山遥拝(ふじさんようはい)」を果たすことができるわけです。

高尾山は「ダイヤモンド富士」の観察地点として最も有名な場所の一つです。

「ダイヤモンド富士」は、日の出・日の入時に富士山の山頂部と太陽が重なって生じる光学現象で、太陽が宝石のように美しく見えるためそう呼ばれています。

ダイヤモンド富士(高尾登山電鉄)

出典:https://www.takaotozan.co.jp/diamond/

理論的には、場所によって、夏至と冬至の間で年に2回まで「ダイヤモンド富士」を見ることができるわけですが、高尾山は「ダイヤモンド富士」が観察できる「東側地域の北限」に位置することで知られており、従って、冬場の1回しかそのチャンスがありません。

ダイヤモンド富士の観測可能地点

即ち、乾燥して空気の澄んだ12月下旬の冬至前後の日没時には、高尾山の山頂から「ダイヤモンド富士」を見るチャンスがあるわけです。

5月の若葉のシーズン、11月の紅葉のシーズンは、高尾山はラッシュアワー時の新宿駅より混んでいる?ともいわれますが、その時期は、「京王高尾山口駅」に隣接する「京王高尾温泉 極楽湯」の入浴料金も2割増となります。

高尾山口駅ホームから見た「京王高尾温泉 極楽湯」

一方、よく晴れた冬至の前後の日の日没時にも、「ダイヤモンド富士」を見てやろう、写真に収めようと、高尾山の山頂は大変混んでいるようですが、「京王高尾温泉 極楽湯」の料金は、通常通りです。

『ダイヤモンド富士の観測で冷えた身体を、山麓の温泉で温めてから家路に就く』というのも悪くない選択肢かもしれませんね。

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(2)件のコメント

  1. 山下仁孝

    神原さん
     明けましておめでとうございます。
     正月明けの今日、貴殿からいただいたblogを初めて見ました。面白い。
     たくさんの知識をもらいました。文章力もいい。
     高尾山も富士山も懐かしく思い出されました。ありがとう。
     今年もよろしくお願いします。

    1. shirok57blog

      山下さん コメントありがとうございます。本年もよろしくお願いします。大晦日にSNSでブログを始めたという投稿をしましたら、投稿自体は昨日までに7000人以上の方が読んでくれたようで喜んでいましたが、よくよく調べてみると、ブログまで読んでくれた方は、そのうちの126人でした。特に、読まれたページ数の点では、英語バージョンに比べて日本語バージョンは10分の1と分が悪く、山下さんは貴重な読者です。ありがとうございます。

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