今回は、高尾駒木野庭園を実際に散策してみましょう。
先ず、旧甲州街道、バス通り側の正面の入口から入ります。
建物の右側を抜けて反対側に出たら、反時計回りに、池泉回遊式庭園を巡ってみましょう。
よく見ると行手に小さな竹藪がありますね。
欧米からの外国人観光客にとっては、竹は「オリエンタル情緒」を感じさせる植物のようです。
彼らを案内するときは、京都であれば、嵐山の渡月橋(とげつきょう)や天龍寺(てんりゅうじ)に近い竹林、鎌倉では、竹寺として知られる報国寺(ほうこくじ)を観光コースに含めると良いと思います。
10年ほど前、欧州からのゲストを報国寺に案内した時、ドイツ人から「竹がこのくらい太くなるには何年ぐらい掛かるのか?」という想定外の質問を受けたことがあります。
どうも、彼は、竹も木のように年輪を重ねて太く、大きく成長していくのではないかというイメージをもっていたようです。
「その力強さや生命力から古来特別な霊力があると信じられて、竹はおめでたい植物なんです。成長が早くて、1日で1メートル以上伸びるものもあるんですよ。」と、説明を加えると、ずいぶん驚いていました。
高尾駒木野庭園にも加工が容易な竹を材料とした竹垣等の景物(けいぶつ)もありますから、関連付けて説明すると興味を持ってくれるのではないかと思います。
竹藪を右に見ながら進むと、そこには蓮池があり、7月から8月にかけて蓮の花が満開になります。
梅雨明けが早い今年は、そろそろ楽しめるのではないかと思われます。
池に咲く蓮の花は、阿弥陀如来を教主とする西方極楽浄土のシンボルであり、浄土庭園としての要素が盛り込まれているわけです。
蓮池を過ぎて、池の真ん中に見えるのは亀島、その右側にあるのが鶴島です。
両方とも長寿のシンボルであり、神仙思想(古代中国において、不老長寿の仙人の存在を信じて、自らも仙人となることを願った思想)を反映したものです。
鶴島は、(陸地と繋がってしまっているので)鶴半島と呼ぶ方がふさわしいかもしれません。
池の中を覗いてみると沢山の錦鯉が泳いでいますが、全日本錦鯉振興会より寄贈されたものだそうです。
鯉は、元々1000年ほど前に中国から導入されたのですが、19世紀の初めに、新潟県の山間の地域で、食用に養殖されていた黒色の鯉の中に、突然変異で色の違うものが出来ました。
あの「中越地震」のあった旧山古志村(やまこしむら)(現長岡市山古志地域)の付近です。
これらの突然変異種同士を繰り返し交配することにより、赤色の突然変異種が生まれました。更に、交配を重ねた結果、その他の美しい突然変異種が幾つも出来ました。
錦鯉は、近年、外国人の間でも人気がありますよね。
以前、中国向け航空機リース・ビジネスに役立つだろうと、2004年頃から約8年間、中国語(標準語)を習ったことがありました。
具体的には、八王子駅近くの雑居ビルにある中国語教室で、ご主人が日本の電機メーカーの研究所にお勤めだという、北京大学出身の中国人女性の個人レッスンを受けたのです。
その老師(先生)は、ご自身も一生懸命に日本語を習っていて、彼女が解らない日本語やそのニュアンス等についてよく質問を受けました。
彼女は、日本に来て、初めて「勿体無い(もったいない)」という日本語を覚えたとき、その直後に、これが「勿体無い」に違いないと感じたのは、池や川などで鯉が沢山泳いでいるのを目撃した時だったそうです。
どうも、誰も鯉を捕まえようとする様子もないので、あんなにご馳走が泳いでいるのに「勿体無い」と思ったということでしたが、中国では、鯉というと「観賞用」というより「食用」というイメージのようですね。
その時、私は、中国との国際親善を損なわないように気を遣いながら?「池の鯉をとるのはマズイです。川にも野生化した鯉が泳いでいますが、どうしてもというのなら、綺麗な色のついていない“普通の黒いやつ”にして下さい。」と、すこぶるいい加減なアドバイスをした記憶があります。
幸い、先生も生活にお困りの様子はなく、「(捕まえるのは)やめておきます。」と言ってくれました。
更に、歩みを進めると、鶴島の手前の石橋から見て右奥に滝があります。
この滝は、竜門瀑(りゅうもんばく)と呼ばれています。
滝の前の石をご覧ください。あの石は、鯉魚石(りぎょせき)と呼ばれ、鯉を象徴しています。
中国の黄河(こうが)の上流に「竜門」という激流があり、そこを登った鯉は竜になるという伝説があるそうですが、「登竜門」という成功への関門を意味する言葉も、そのことに由来するようです。
実は、滝の上には三尊石(仏像の三尊仏のように、中央に大きな石を、その左右に小ぶりの石を組む方法)があるはずですが、上記の写真では草で隠れて見えません。
更に、その上の石を積み上げてこんもりしている所は、蓬莱山(ほうらいさん)(古代中国で東の海上にある仙人が住むといわれていた仙境(せんきょう)の一つ)に見立てられているようですが、やはり草で隠れてしまっています。
縁起の良い名前のせいか、蓬莱山という名前の山は、日本各地にあるようです。
日本庭園設計のバイブルとも言える「作庭記」にも取り上げられている、庭内に置く複数の石の配置・構成は、「石組み(いしぐみ)」と呼ばれ、日本庭園で使われる重要な造園技法の一つです。
そのうち、竜門瀑でも見られるような、“滝を作るため”に使用される「石組み」は、特に、「滝石組み(たきいしぐみ)」と呼ばれます。
「滝石組み」は、枯山水の作庭にも使用されていますが、高尾駒木野庭園の枯山水庭園にも「滝石組み」が見られます。
「滝石組み」による「竜門瀑」を最初に考案したのは、13世紀、鎌倉時代に、モンゴルの侵略にさらされていた宋王朝時代の中国からのがれてきた高名な禅師(ぜんじ)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)であるとされています。
彼は、「大覚禅師(だいかくぜんじ)」の称号を持ち、鎌倉の建長寺の開山(かいさん)としても知られています。
そして、そのテーマを引き継いで新しい庭園のスタイルを確立したのが、日本の歴史上最も著名な作庭家の一人であり禅師でもあった夢窓疎石(むそうそせき)(夢窓国師)です。
私も、14世紀中頃に彼が作庭を手掛けたといわれる天龍寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)には何度も行きましたが、そこでは、スケールの大きな見事な滝石組みが見られます。
このように、日本庭園において、滝は、重要な役割を果たしていると考えられます。
これに対して、西欧やイスラム諸国の庭園には、「噴水池」が多く見られます。
訪日外国人に日本庭園について説明する際、留意すべきことは、西欧やイスラム諸国の庭園に見られるような「噴水池」が一部の例外(注)を除いて伝統的な日本庭園には存在しないということです。
(注)噴水池を供えた日本庭園として有名なのは 19 世紀中頃に造営された水戸の「偕楽園」と 17 世紀後半に造営された 金沢の「兼六園」がありますが、「兼六園」については噴水池そのものの造営は、偕楽園と同じく、19 世紀中頃に行われたもので、ともに西欧文化の影響が大きくなってきた時期に当たります。
駐日アイルランド大使の妹さんご夫妻が観光目的で来日するという時に、事前に、「“日本庭園”に非常に興味を持っており、出来るだけ沢山見たい」という希望を知らされていました。
そこで、予め、訪問予定地別に見る価値のある有名な庭園のリスト、鑑賞のポイント、歴史的に著名な作庭家の手がけた日本庭園などの情報を含む「An Overview of the Japanese Garden-making(日本庭園の概観)」と題するメモを作って、電子メールで送って差し上げました。
このメモを作ることで、私自身も非常に勉強になりましたが、そのメモの中で、噴水池をめぐるポイントについて、以下のように説明しました。
・噴水池という概念は、自然の力に反するものであり、キリスト教やイスラム教のような一神教において「神により許された自然に対する人間の支配」を象徴するものとも言えるでしょう。
・これに対して、日本庭園で多く見られるのは滝です。
・滝は、「自然の摂理(せつり)」に従って上から下に水が流れるものです。
・即ち、日本の文化における一つの重要な価値観である「自然との調和」を象徴するものと言えるでしょう。
・「日本文化は滝の文化」であり、「西欧文化は噴水池の文化」であるという言い方もできるのではないでしょうか?
日本庭園における滝は、音響効果をも狙ったものといえますが、同様に水による音響効果を楽しむものとして、試して欲しいのが水琴窟(すいきんくつ)です。
高尾駒木野庭園には、露地の入り口近くの手水鉢(ちょうずばち)の手前に、水琴窟があります。
水琴窟は、底に小さな穴が空いた瓶(かめ)を逆さまにして埋めており、水滴がその穴を通じて瓶の中の小さな水溜り(みずたまり)に落ちる時の「琴の音」にも似た心地よい水音を楽しむものです。
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/01/Suikinkutsu_CrossSection.jpg
涼しい音色で、特に、夏場には、一服の清涼剤のような爽やかさを感じることができると思います。
手入れの行き届いた美しい日本庭園を鑑賞できることとは別に、高尾駒木野庭園では、数々の素晴らしい盆栽を鑑賞することが出来ます。
ここにある盆栽は、社団法人日本盆栽協会八王子支部より寄贈されたものだそうです。
訪日外国人観光客の中には、盆栽は、「剪定(せんてい)やら「針金かけ」による樹形作りが残酷ではないかという誤解を持っている方もいるかと思いますが、彼等には以下のように説明します。
・盆栽は、基本的には、大自然の樹木の姿を写し取ったものです。
・雄大な自然を小さな植木鉢の中に再現するのです。
・色々な技法を用いて小さな鉢に植えられた苗木を徐々に自然の樹木に似せて育てるものです。
・ですから、「自然との調和」という日本の文化における一つの重要な価値観は、日本庭園だけでなく、盆栽の世界にも生きているのです。
もっとも、今や、外国人の中には、錦鯉のみならず、盆栽についても熱狂的なファンが増えているようですね。
from slow-witted fellow to Yotaro
1. 貴兄の実家藤野町から山梨県上野原町に入ったところに「鶴島」という地名があり、名倉の道標にもその地名が刻まれています。その地名の「鶴」は「川の激流に面するところ」の意で、「島」は「島状の土地」「一定の小区画」の意味であるそうです。また古代朝鮮語の「原野」からの名であると言うことです。
2. 私の父は岐阜県の現在で言うと中津川市の出身ですが、特別の日や上客の際には池の鯉を料理して出します。現在でもスーパーでも売っています。長野県塩尻辺りでは「加藤の鯉」が有名で長野に行った際はスーパーで探します。学生時代、群馬県太田市で発掘作業をしていた時は近所の方からバケツ3杯もの鯉の出し入れを頂いたことがあります。相模原市では当麻に瓢禄玉という鯉料理の店があります。もう数十年前になりますでしょうか?鯉ヘルペスが騒がれてから私の近所のスーパーから姿を消し、その後は探しても売っていません。海のない県では鯉は貴重な食用の魚です。
という訳で、中国人のみならず、鑑賞を楽しむ興味がない私にとっても鯉と言えば食用が頭に浮かびます。