注連縄は豊穣のシンボル?

注連縄(しめなわ)は、外部から邪気(じゃき)や悪霊(あくりょう)が入り込まないようにするための結界(けっかい)として用いられます。

結界は、一般的には神社仏閣における「聖なる場所」と「俗なる場所」とを分ける境目(さかいめ)のことであり、仏教用語から始まったものだそうですが、神道でも同様の概念があります。

古代の日本では、河川、湖沼等の水が結界(神域と現世の境)として使われていました。

結界として注連縄が使われるようになったのは、日本に稲作文化が伝わった弥生時代以降と考えるのが自然なのかも知れませんが、縄文土器の模様は麻縄で付けられていたようであり、注連縄は麻藁で作られるのが本来の形という説もあるようです。

太い縄を撚り合わせて作る注連縄の形は、生命力の強い「蛇の交尾」の姿を模したものであるという説がありますが、「蛇の交尾」の写真やYouTubeの動画などを見ると確かによく似ています。

そういう意味では、「注連縄は豊穣のシンボル」とも言って良いかも知れません。

「蛇の交尾」なんて、気味が悪いと思う方の方が多いかも知れませんが、興味のある方はご自身で検索して、確認してみて下さい。

高尾山には注連縄が張られる場所が数十ヶ所あります。

高尾山の注連縄は、原則として、年に一回取り替えられるようで、通常は新年に間に合うように十二月の間に順次新しいものが張られるようです。

蛸杉のような一種の御神体、鳥居、本堂、本社の拝殿の前などに注連縄が張られています。

浄心門(高尾山 1号路)

注連縄は、鳥居と共に、一般的には「神道のシンボル」とされていますが、高尾山も修験道という神仏習合の霊山ということだからでしょうか、鳥居、注連縄とも随所に見られます。

実は、過去二度ほど、弘法大師空海が「真言密教の根本道場」として開いた高野山に足を運んだことがあります。

初めて高野山を訪れた時は余り意識しませんでしたが、二度目に訪れた時に、鳥居と注連縄が各所に見られることに改めて気が付きました。

多くの戦国大名の墓所には鳥居が設けられており、弘法大師御廟、金剛峯寺正門には注連縄が張られています。

奥州 仙台 伊達家の墓所(和歌山県伊都郡高野町)
注連縄が張られた金剛峯寺正門(和歌山県伊都郡高野町)

但し、高野山は日照時間が短く昔から稲作には適さない場所であったため、注連縄作りに必要な稲藁が不足していて、「吉祥宝来(きっしょうほうらい)」と呼ばれる弘法大師空海が唐で学んだ切り絵を「注連縄の代用品」として使うことが多いようです。

相模原市緑区の山奥にある我が家の菩提寺も、高野山真言宗のお寺ですが、よく見ると本堂には吉祥宝来が掛けてあります。

吉祥宝来

高野山という仏教の聖地で鳥居や注連縄を見かけた時は、正直とても驚きました。

しかしながら、鳥居も注連縄も結界として用いられるものであり、結界というコンセプト自体が、仏教由来のものでもあること、又、神仏習合の色彩の濃い真言宗という宗派の性格にも注目して考えれば、それほど不思議なことではないのかも知れません。

一説によれば、① 注連縄の縄は「雷雲」、② 紙垂(しで)は「稲妻」、③ 〆の子(しめのこ)と呼ばれる注連縄から細く垂れ下がっている藁(わら)は「雨」をそれぞれ表しており、「注連縄は豊穣のシンボル」とされています。

注連縄

ご承知の通り、日本では稲作は長らく重要な産業であり、現在でも日本の農業は稲作が中心です。

日本語の稲妻の文字通りの意味は「稲の配偶者」です。

雷の放電は窒素と酸素に化学変化を起こさせ「窒素酸化物」を作り、それが雨に溶けて地面に降ってきます。

この窒素酸化物は窒素系の肥料と同じもので、天然の肥料となって植物の生育を助けます。

このように、稲妻は空中窒素を天然の肥料へと変え、稲に豊かな実りをもたらす自然現象であると説明できるわけです。

つまり、「注連縄は豊穣のシンボル」とすることについては、科学的にもその正当性が証明されているわけです。

優れた教育者でもあった作家の宮沢賢治は、「農作物の肥料として窒素が重要」という事実を、注連縄を使って生徒に教えたそうです。

雷による窒素系肥料生成のメカニズム

注連縄というコンセプトは、日本の神話に由来するものであるという説もあります。

即ち、日本の神話には、皇室の祖先とされ、太陽神である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が、弟の須佐之男命(素戔嗚尊)(すさのおのみこと)の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)に耐えかねて「引きこもり」になり、「天岩戸(あまのいわと)」から出てこなくなってしまったというエピソードがあります。

これは、明らかに日蝕(恐らくは、皆既日蝕)が起きたことを暗示するもので、日本史上最初の「引きこもり」であろうかと思われます。

古事記や日本書紀には、「天照大神」が、「天鈿女命」(あめのうずめのみこと)のセクシーダンスに大ウケの神々のどんちゃん騒ぎが気になって「天岩戸」から再び出てきた時に、他の神々が、彼女が再び「天岩戸」の中に引きこもってしまわないように、「天岩戸」の周りに注連縄を張り渡して「結界」としたというお話が載っています。

皇室の祖先神を祀る日本で最も格式の高い「伊勢神宮」を擁する伊勢地方では、注連縄が一年中張られているそうです。

しかし、数年前に伊勢神宮を訪れた時、肝心の伊勢神宮では、注連縄は張られていないことに気がつきました。

一説によれば、伊勢神宮は内宮(ないくう)、外宮(げくう)を含む125社から成り立つ神域全体が聖域として位置づけられており、結界としては鳥居や榊(さかき)(境目にある木から転じたもの)を利用しているからだそうです。

この他、伊勢神宮には、狛犬、お神籤(みくじ)、賽銭箱などがないことも知られています。

これについては、伊勢神宮の創建は太古の昔に遡り、これらの風習が定着する前の様式を踏襲しているためという説があります。

しかし、狛犬は、注連縄と同じく結界のような機能を果たすものですし、鳥居や榊で用が足りれば、「新参者」の狛犬は必要がなかったのかも知れません。

更には、公式には、2000年の歴史があると言われる伊勢神宮も、「実際に天照大神をお祀りした」のは、式年遷宮(定められた年(20年毎)に、新しい社殿を作って、御神体である八咫鏡(やたのかがみ)を、新しい社殿に遷(うつ)すこと)の歴史が始まる持統天皇4年(690年)ぐらいからではないかと思われます。

又、財政的には、皇室の庇護の下、お神籤や、賽銭箱などの資金調達手段は元来必要とされなかったのではないかとも想像されます。

注連縄は、稲藁が綯始(ないはじめ)(太い方)を向かって右とし、綯終(ないおわり)を向かって左としている(向かって右から撚られていて、注連縄の向かって右側が太い)のが一般的です。

それは、神様に向かって右を上位、左を下位とするので、上位の右が綯始で、左を綯終とする張り方が正しいとする考えに基づくものです。

この考え方は、「役行者のお使いの鬼のカップルはかかあ天下?」の稿でもご説明した、飛鳥時代(7世紀)に遣唐使を通じて唐王朝時代の中国から導入された日本の伝統礼法の一つである「左上右下」(左を上位、右を下位とする)という「左上位」のしきたりと一致します。

復習になりますが、「左上右下」(左を上位、右を下位とする)というのは、正面から見ると、右が上位となって左右の序列が逆になりますが、あくまでも祀られている神様側から見て左側を上位・高位とするものです。

ところが、出雲大社は、稲藁が綯始(太い方)を向かって左とし、綯終を向かって右としている(向かって左から撚られていて、注連縄の向かって左側が太い)ことで知られており、他のほとんどの神社の注連縄について稲藁が綯始を向かって右としている(向かって右から撚られていて、注連縄の向かって右側が太い)のに対して反対です。

出雲大社神楽殿の大注連縄

この問題に関しては、出雲大社のホームページでは、「よくあるご質問」とそれに対する回答を以下の通り表示しています。

なぜ出雲大社の注連縄は左右が逆に張られているのですか?

出雲大社ホームページ

左右逆に張られた注連縄は、あたかも「邪気や悪霊を内側に封じ込めるため」の結界のようで、作家の梅原猛氏(1925〜2019年)や、井沢元彦氏などの著作中では、出雲大社は、主祭神の怨霊を封じ込めるための宗教施設ではないかという説が唱えられています。

非常に説得力がある議論で、私もなるほどと思っています。

もっとも、注連縄の張り方に関する「左上右下」の考えが、遣唐使によって中国から日本にもたらされたものであると考えれば、むしろ、日本最古の神社の一つである出雲大社の慣習の方が、遣唐使以前の古代日本の神道のしきたりに則ったものだという可能性もあります。

反対に、出雲大社のホームページでは「左上右下」を「神社神道の原則である」と認めてしまっているので、遣唐使以前の古代日本の神道のしきたりも、“偶然にも”「左上右下」だったというように解釈することも可能です。

更には、6世紀末に創建されたといわれる愛媛県今治市大三島宮浦にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の注連縄も左右逆に張られているようです。

一体、真実はどこにあるのでしょう?

出雲大社が、主祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の怨霊を封じ込めるための宗教施設ではないかというテーマについては、また、別の機会にお話ししたいと思います。

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(4)件のコメント

  1. 胡蝶 忍

    急ピッチでの第10弾おめでとうございます。「よくある質問」と言うことで質問と見解が示されています。「よくある」と言うことは、貴兄のみならず、そう言う点に興味を持っている人が大勢いるということですから驚きました! そのような人達に貴兄のブログが知れ渡り、読まれるようになれば良いと思います。

    1. shirok57blog

      「よくある質問」をされた方の多くは、私と同様に梅原猛氏や井沢元彦氏の著作を読んだりして、出雲大社が怨霊鎮魂施設ではないかという見解を支持しているのだと思います。それで、敢えて質問して出雲大社側がなんと回答するか興味があるんじゃないでしょうか?回答の中に登場する神々は大和朝廷側の神々であり、主祭神の大国主命は、これらの神々が本殿正面に向かってお祀りされているのに対して、正面から90%違う西向きにお祀りされていたりして、大和朝廷側の神々があたかも牢番役で、主祭神の大国主命は囚人という感じです。

  2. 原 馨

    正月に飾る鏡餅も注連縄と同じく、蛇の交尾を表していて豊穣の意味があるといいます。丸い餅を重ねるのは蛇がとぐろを巻いているもので、上にみかんをおいているのは蛇の目。かがみはかかの目であり、かか、かがは蛇の古語。注連縄は豊穣のシンボルでこれは科学的に証明できるというのは驚きです。整理できました。

    1. shirok57blog

      鏡餅は蛇がとぐろを巻いているのを模したものだという説は私も聞きましたが、鏡餅にのせる橙(だいだい)は単に子孫が代々(だいだい)続くという縁起かつぎだと思っていました。何にしても豊穣のシンボルですね。

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